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さて、「今日の一言メモ」第823回です。
「大政奉還の日」
さて、今日11月9日は「大政奉還の日」です。今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」でもこのシーンがありましたが、今から154年前の1867年11月9日(慶応3年10月14日)に、徳川慶喜が二条城で大政奉還を宣言しました。
江戸時代、徳川将軍は日本の統治者として君臨していましたが、形式的には朝廷より将軍宣下があり、幕府が政治の大権を天皇から預かっているという形だったのです。
幕末になると、朝廷が自立的な政治勢力として急浮上してきます。主にペリー来航などによる対外問題において、幕府との溝が深まりました。こうして幕府権力の正統性が脅かされる中で、幕府は朝廷に対して大政委任の再確認を求めるようになりました。
慶応3年10月の徳川慶喜による大政奉還は、それまでの朝幕の交渉によって再確認された「大政」を朝廷に返上するもので、江戸幕府の終焉を象徴する歴史的事件でした。
しかし、この時点で慶喜は征夷大将軍職を辞職しておらず、引き続き諸藩への軍事指揮権を有していました。慶喜はその後、将軍職辞職も朝廷に申し出ますが、辞職が勅許され幕府の廃止が公式に宣言されるのは、12月9日の王政復古の大号令まで待つことになります。
大政奉還の目的は、内戦を避けて幕府独裁制を修正し、徳川宗家を筆頭とする諸侯らによる公議政体体制を樹立することにありました。しかし、大政奉還後に想定された諸侯会同が実現しない間に、薩摩藩を中核とする討幕派による朝廷クーデターが起こったのです。
この150年間の変化は凄まじい
慶長8年2月12日(1603年3月24日)に、徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから、慶応4年/明治元年4月11日(1868年5月3日)に、江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間が江戸時代です。(Wikipedia参照)
そして、江戸時代が終焉を迎え、明治新政府の樹立から大正・昭和・平成を経て令和となった今年まで、まだ150年ちょっとというわけです。
江戸時代の265年間に比較して、この150年間の変化には凄まじいものがあります。もちろん、科学技術の進化によるものが大きいわけですが、日本人の生活の在り方が、こんなにも変遷してきたことに驚きます。
急激な人口減少社会を迎えて
Wikipediaによると、1872年(明治5年)の日本の推計人口は3,500万人弱、それが2017年(平成29年)は1億3,000万人弱になりました。
そして、これからは急激な人口減少社会となり、現在の出生率・死亡率が変わらないとすると、100年後には約5,060万人、200年後には約1,380万人になると推計されています。
これからの150年で、ほぼ明治初期の人口まで急減してしまうという予想です。
さらに恐ろしいのは、西暦3000年には人口がたった2,000人になってしまうという予想です。こうなると、日本という国自体が存立し得ず、どこかの国の属国になってしまうことは明白です。
日本が消滅するリスクがあるということは、人口減少が「静かなる有事」であるという明確な証左でしょう。
今後100年後、200年後、我々は生きていませんが、その時代を生きる子々孫々にどのような日本を残せるのか、後の世代に何を引き継いでいくのか、それは我々の世代に課せられた重要な責務であることは間違いありません。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.11.9記)