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さて、『今日の一言メモ』第871回です。
「馬を得て鞭を失う」
「馬を得て鞭を失う」とは、一方を得た代わりに、一方を失うことを意味します。また、目的のものは得たが、それを活用する手段がなくなることの例えでもあります。
鞭を失っては馬を走らすことができないことから、こう言われるようになりました。
何かを失って初めて気づく大切さ
生きていく中で「何かを得れば何かを失う」とは、よく言われるものです。でも、何かを得ることなく失ってしまうものもあります。
長い人生では、大切な何かを失う場面が必ずあります。愛する人だったり、親しかった友人だったり、もしかしたら健康かもしれません。東日本大震災では、一度に多くのものを失ってしまった人が数多くいました。
では、それを失うまでの間、本当に大切にしてきただろうか、と失ったあと自らに問うて、一点の悔いも残らず自信を持ってイエスと答えられる人は少ないのではないでしょうか?僕も答えられません。
親孝行が大切と頭で分かっていても、親が元気な間は「いつか孝行しよう」などと考えて先延ばししてしまいます。そして、ある時「親孝行したいときに親はなし」という日が到来し悔いることになります。
他にも、失ってみて初めてその大切さを痛感し、なぜもっと早くその大切さに気づき、感謝し、そして大事にしてこなかったのだろう、と悔やむことがあるでしょう。
まだ失っていないものの価値に気づく
大切なものを失ったとき、私達は喪失感を覚え、なぜもっと大事にしてこなかったのかという後悔の念に苛まれ、絶望感に陥るかもしれません。
でも、そうした場面では、まだ失っていないけど、その価値を十分意識してこなかった “なにか” に気づき、もっとそれらを大事にするチャンスだ、と考えることもできます。
自分にとって、とても大切な友人がいて日頃すっかりご無沙汰していたとします。その友人のことを思い出しても「コロナが終息したら食事に誘おう」とか「今度お盆休みに帰省できたら会おう」などと、日頃の忙しさに紛れてつい先送りしがちです。
そんな時は、すぐに会えなくても、ちょっとアナログに手紙を書いてみるとか、電話してみるとか、SNSデ連絡だけでも取ってみてはどうでしょう?
私たちは今は未災者でも、いつ被災者になるか分かりません。今過ごすことができている「なんでもない日常」の大切さを深く心に刻み、その日常の中でつい忘れがちな大切なものの存在に心を向けたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.3.12記)