(画像出典元はこちら)
「大仏開眼の日」
今日4月9日は「大仏開眼の日」です。今から1271年前の752年(天平勝宝4年)4月9日、奈良・東大寺の大仏が完成し、開眼供養会(かいげんくようえ)という魂入れの儀式が行われたことに由来します。東大寺の大仏は「奈良の大仏さん」として有名です。
(出典:Wikipedia)
奈良の大仏は、聖武天皇の発願で745年(天平17年)に制作が開始された、盧舎那仏(るしゃなぶつ)といわれる大乗仏教における仏の1つです。
坐像の座高16m、顔の長さ5m、目の長さ2mで、この大仏開眼供養で使用された遺品は正倉院に奉納されているそうです。また、「銅造盧舎那仏坐像」の名で、彫刻部門の国宝に指定されています。
「開眼」(かいがん)の境地を目指して進む
「開眼」(かいげん)とは、仏像や仏画像を新しく作り,最後に眼を入れて仏の霊を迎えること、または、その儀式を指します。
一方、私達が「開眼」(かいがん)と表現するときは、物事の道理や真理がはっきりわかるようになること、または、物事のコツをつかむことを指しています。その境地に達するまでには、通常気の遠くなるような時間がかかります。
ただ、物事の道理や真理を分かった気になることは、よくあります。でも、後になると本当の道理や真理ではなく、表面的に分かったつもりだけだったことに気づきます。
真の開眼に辿り着ける日は来るのだろうか・・・いつ到達できるか分かりませんし、一生到達できないかもしれません。でも、高倉健さんの座右の銘を思い出して精進したいと思います(高倉健さんは、2014年11月に83歳の生涯を閉じました)。
「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」
この言葉の意味は次の通りです。
行く道は精進にして
辛いことがあっても、それは精進である。
自分を高めるために必要なことなのだ。
忍びて終わり、悔いなし
それを我慢したまま、たとえそれで終わる
ことがあっても、自分の向上にとっては
確実にためになっているのだから悔いはない。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・・・・
(2023.4.9記)