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「正直の頭に神宿る」
「正直の頭(こうべ)に神宿る」とは正直な人には、必ず神のご加護があるという意味です。神様は誠実な心をもって正直に生きる者を見守っており、必ずそのご加護があるという意味で、正直の大切さの教えです。
正直者で思い出すのは、イソップ童話の「金のオノ、銀のオノ」です。そのようなストーリーは次のようなものでした。オノで木を切っていた男が誤ってオノを川に落としてしまいます。
すると川の中からヘルメスという神さまが出て来て、落としたオノは金のオノか?銀のオノか?と聞きます。男は正直に、そんな立派なオノではないと答えると、神さまは感心して、落としたオノだけでなく、金のオノも銀のオノも男にくれたというお話です。
正直者が馬鹿を見る?
正直さは大切だと教えられた子どもも、そのうち「正直者が馬鹿を見る」という言葉も覚えます。ずる賢い者はうまく立ち回って得をするが、正直な者は秩序や規則を守るために、かえって損をすることが多いという意味ですね。
現代は、矛盾と曖昧さに満ちていますが、もしも子どもに「正直者は馬鹿を見るの?」と聞かれたら、どう答えればいいのでしょう?
やはり「損して得とれ、といってね、目先の利益に拘ると人間の器が小さくなっちゃうから、やっぱり自分に嘘をつかないのが一番なんだよ。」とでも言うのでしょうか。う〜む・・・
自分に正直に生きる難しさ
それはともかく、自分に正直に生きる、ということを貫徹することも難しい時代です。親や兄弟姉妹、家族、親類、そして自分が過ごしている組織、コミュニティといった周囲からの期待や同調圧力が、自分に正直に生きることを難しくしています。
「他人の視線は自分を縛る鎖」という言葉があります。そうした呪縛や、いわゆる世間体・見栄というものに、自分の生き方を左右されることも多いでしょう。
そういえば、『看護師が語った、死ぬ直前に誰もが後悔する「5つのこと」』という記事をかつて読んだことがあります。
ある看護師が末期患者と接するなかで、彼らが口にした後悔の言葉をまとめたものです。
その一番目に出てくる言葉が、「もっと自分らしく生きればよかった」でした。以下、記事から引用します。
これは、一番よく聞く「後悔」の言葉。人は、人生が終わりに近づいていると悟ったとき、もっと自分らしく生きたかったと考えるようです。いくつもの夢があれど、ほとんどの人は、そのうちの半分も全力を尽くさないままに時間が過ぎ去ってしまうのです。そして、じつはそれが「自分の決断次第だった」ということに気づきます。
自分に正直に生きることを躊躇しない
健康は人を盲目にします。自分の命はもう長くない、とわかるそのときまで、自由を見えづらくしてしまうのです。
自らの死を悟った時に、「ああ…自分らしく生きることができた…」と思えたら、それが幸せな人生ということになりそうです。
ところで、明日(2023年5月8日)から新型コロナウイルス感染症について、感染症法上の位置付けが現在の2類相当から5類感染症に変更されます。これにより法律に基づく外出自粛は求められなくなります。
これまで3年以上にわたり何らかの制限を受けていた自由が、個人の責任範囲ですべて認められるのです。なので、やりたいことには躊躇せず取り組みたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2023.5.7記)