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「人こそ人の鏡」
「人こそ人の鏡」とは、他人の言動は鏡に自分を映す鏡のようなものだから、他人を見て自分を改める参考にせよという意味です。
鏡に自分の姿を映して正すように、他人の言動は自身を正すのによい手本になるということです。「人の振り見て我が振り直せ」とも言いますね。
中国古代の歴史書である『書経』に「人は水に鑑みること無く、当に民に監みるべし」(水鏡に自分を映して見ることをせず、人民の声によって我が身を反省するのがよい)とあるのに基づくそうです。
他者と自分の優劣を比べない
他者を教師とし、また反面教師として自分を正していくことと、他者と自分の優劣を比べることはまったく違います。
他者と自分の優劣を常に意識し、自分が優れているのはどこか、自分が劣っているのは何かということばかり意識して生きることは、すなわち他者を常に競争相手としてみていることになります。
学生時代は受験競争を戦い、会社に勤めてからは出世競争にうつつを抜かしていれば、そうならざるを得ないかもしれません。
僕も33年間、会社勤めをしていましたが、そこから出て広い世間を経験すれば、所詮一つの会社の中など、金魚鉢みたいにちっぽけなものに過ぎなかったことを痛感しました。
そんなちっぽけなところで優劣を競い出世競争を演じて疲弊するなど、人生の無駄遣いだとつくづく思うのです。
意識するのは、昨日の自分と今日の自分の比較
どうしても他者との優劣を考えてしまうとき、僕はいつも自分と他者は違う平面(レイヤー)を歩いているのだ、と考えることにしています。
そのレイヤーは、どちらが上とかどちらが下とか関係なく、どこまでいっても交わることのないレイヤーです。
なので、他者がどのレイヤーのどの位置を進んでいようと、自分と比べる必要もありません。他者が自分と異なるレイヤーを歩んでいれば、追い抜くことはできないし、追い抜かれることもないからです。
大切なことは、自分が前を向いて着実に進んでいるかです。立ち止まったり、逆戻りすることなく、着実に前に進んでいれば良いのです。
他者と自分はあくまで「異なるレイヤーに存在する対等の存在」です。そう考えることができれば、他者は「競争相手」ではなく、共に前を向いて進む「仲間」になるはずです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2023.6.3記)