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さて、「今日の一言メモ」第486回です。
「人こそ人の鏡」
人こそ人の鏡とは、他人の言動は鏡に自分をうつす鏡のようなものであるから、他人を見て自分を改める参考にせよという意味です。
鏡に自分の姿をうつして正すように、他人の言動は自身を正すのによい手本になるという言葉です。
『書経』に「人は水に鑑みること無く、当に民に監みるべし(水鏡に自分をうつして見ることをせず、人民の声によって我が身を反省するのがよい)」とあるのに基づくそうです。
他人の言動を短絡的に自分と比べない
人が社会生活を営む上で、どうしても自分と他人を比べてしまうことはあるでしょう。それは、小さい頃からの受験戦争や就活、出世競争などを勝ち抜けなければいけないことも一つの理由と考えられます。
結果として、常に他人と比較して自分に足りないものを得ようとする「相対的な欲」から逃れられません。地位や名誉やお金などを得たいというのも、他の人と比べて自分には不足していると感じるからでしょう。
我と我が身を振り返っても、サラリーマンだった40代までは、そんな相対的な欲に支配されていた気がします。
それが50代となり、会社をアーリーリタイアメントしてフリーランスのITコンサルタントとして独立した頃から、自分と他人を比べることが少なくなってきました。
他人は自分と異なるレイヤー (界層) に生きている
これは、数年前から抱いている想いです。自分と他人がまったく同じレイヤー上に生きていると思い込んでいるから、どっちが先だ後だ、上だ下だという感覚がつきまとうのです。
そうではなく、自分は自分だけのレイヤーに生きていて、他の人たちはそれぞれのレイヤーにいるのだ、と思えばどうでしょう。
他の人たちがどこをどう進んでいようと、自分とは関係ありません。自分のレイヤーで比べるのは、昨日の自分と今日の自分です。昨日より今日、前進しているかどうかだけです。もし、一歩後退していたら、二歩前進すればいいだけです。
それでも「相対的な欲」とは、なかなか縁を切れません。レイヤーそのものは透明なので、異なるレイヤーの世界が見えるからです。
でもまあ、そんなこともあるのが人間の宿命さ、と考えて、あんまり他のレイヤーに気を散らさなければ良いと思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.7.25記)