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さて、「今日の一言メモ」第166回です。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とは、人間はすべて平等であって、身分の上下、貴賎、家柄、職業などで差別されるべきではないという意味です。
慶應義塾の創立者である福沢諭吉先生が著した『学問のすすめ』の冒頭にある言葉です。
生来、人間はすべて平等であり、貧富・家柄・職業・社会的身分などによって差別するような偏見を否定しています。
自分と他人を比べてしまうのは、人間の宿命か
人が社会生活を営む上では、いやでも自分と他人を比べてしまうでしょう。それは、小さい頃からの受験戦争や就活、出世競争などをくぐり抜けなければいけないのも一つの理由です。
結果として、常に他人と比較して自分に足りないものを得ようとする「相対的な欲」から逃れられません。地位や名誉やお金などを得たいというのも、他の人と比べて自分には不足していると感じるからでしょう。
我と我が身を振り返っても、サラリーマンだった40代までは、そんな相対的な欲に支配されていた気がします。
それが50代となり、会社をアーリーリタイアメントしてフリーランスのITコンサルタントとして独立した頃から、自分と他人を比べることが少なくなってきました。
他人は自分と異なるレイヤー (界層) に生きていると考える
これは、ここ数年で抱いている想いです。自分と他人がまったく同じレイヤー上に生きていると思い込んでいるから、どっちが先だ後だ、上だ下だという感覚がつきまとうのです。
そうではなく、自分は自分だけのレイヤーに生きていて、他の人たちはそれぞれのレイヤーにいるのだ、と思えばどうでしょう。
他の人たちがどこをどう進んでいようと、自分とは関係ありません。自分のレイヤーで比べるのは、昨日の自分と今日の自分です。昨日より今日、前進しているかどうかです。もし、一歩後退していたら、二歩前進すればいいだけです。
それでも「相対的な欲」とは、なかなか縁を切れません。レイヤーそのものは透明なので、異なるレイヤーの世界が見えるからです。
でもまあ、それも人間の宿命と受け入れて、あんまり他のレイヤーの出来事に振り回されなければ良いと思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.7.25記)