「今日は何の日?」シリーズ第73弾です。
今日は秋分の日、昼と夜の時間が同じ日です。これから日に日に夜が長くなっていきます。秋の夜長を本格的に楽しむ季節ですね。
王貞治選手の年間ホームラン記録
さて、あの東京オリンピックが開催された1964年、開会式を控えた9月23日に、当時読売巨人軍の王貞治選手が、そのシーズンで55本目のホームランを放ち、当時の日本記録を達成しました。
その後、2001年に近鉄のローズ選手が、2002年に西武のカブレラ選手が、同じく55本のホームランを放ち、記録に並びました。
そして、昨年2013年にヤクルトのバレンティン選手が60本のホームランを放ち、記録を塗り替えたのです。
しかし、過去の長い歴史の中で、台湾国籍の父と日本人の母の間に生まれ、日本人として育った王貞治選手が数々の記録を打ち立てたことは凄いことだと思います。
王貞治選手の思い出
今月3日のブログで、今から37年前の1977年9月3日に、王貞治選手が通算756号ホームランを達成し、ハンク・アーロンの記録を抜いて世界最高記録を樹立し、この日がホームラン記念日になったことをお伝えしました。
王選手というと、自由が丘「亀屋万年堂」のナボナかホームランか、というほど、ホームランの記憶が強烈です。
とにかく、「フラミンゴ打法」と呼ばれる独特の一本足打法で放たれる打球のスピードは尋常ではなく、打った瞬間に、中継のアナウンサーが「ホームラン!」と叫ぶほど「あっ!いった!」と誰もが分かるものでした。
ホームランの殆どがスタンドの中段から上段に突き刺さり、フェンス際ギリギリというものはほんの少数だったと思います。
また、ON砲と呼ばれた「三番・王、四番・長嶋」の打順は不動のものでした。また「記録」の王、「記憶」の長嶋と呼ばれたり、「努力型」の王、「天才型」の長嶋とも呼ばれていました。
強打者の宿命でもある内角攻めが続き、スランプに陥ることもありました。また、デッドボールも多く、今なら危険球とされる頭付近に投げられることも多々ありました。
でも、デッドボールに倒れても必ず起き上がり一塁ベースに立つと、続く「燃える男」長嶋選手が必ずと言っていいほどホームランを打ち、胸がスカッとする思いをしたものです。
・・・と、「巨人・大鵬・卵焼き」と呼ばれたように、とにかく大の巨人ファンで、テレビにかじりついていた少年時代を懐かしく思い出した秋分の日の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2014.9.23記)