さて、昨日は「新たなコンフォートゾーン (快適な領域) を作り、そこに飛び込む」にあたって、大きな影響を受けた立花岳志さんのブログ記事 (2つの書評) についてご紹介しました。
そこに書かれていたのは「時間は未来から現在に流れ込んできている」という考え方です。
今日は、そこから考えがどのように広がっていったのか、について書いてみます。
「完訳 7つの習慣」がまず思い浮かんだ
「時間は未来から現在に流れ込んできている」という言葉を読んで、まず思い浮かんだのはスティーブン・R・コヴィー著の「完訳 7つの習慣」に出てきた第2の習慣です。
この本では、単に依存している立場から、まず第1〜第3の習慣をもって「私的成功」に導き、自立を果たすことが書かれています。
そこから、第4〜第6の習慣により「公的成功」に到達し、望ましい「相互依存」の関係に発展する姿を描きます。
最後に、第7の習慣により、更にブラッシュアップすることが説かれています。
今回着目したのは、第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」です。
自分の葬儀に参列してくれる人にどんな弔辞を読んで欲しいか
本書には、ある葬儀に参列して棺の中を見て、そこに横たわっているのが自分自身だと知り驚くシーンが登場します。
そして、親族・友人・仕事関係の知人・地域活動を一緒にしてきた知人が弔辞を読むのです。
ここで著者が読者に問いかけます。「あなたは、これらの人たちに、あなた自身あるいはあなたの人生をどのように語ってほしいだろうか?」
それに対する答えに含まれる価値観が、人生におけるすべての行動を測る尺度、基準となり、それを念頭におけば今日という一日を始めることに繋がっていく、と著者は説きます。
あくまで目標達成の判断基準は、自分の内部に持つ
自分の葬儀で弔辞を読んでくれる方が、どのような弔辞を読んでくれるかは分かりません。
でも、どんな弔辞を読んで欲しいのか、については自分で決められます。そして、そのような弔辞を読んでくれるように生きていくはずです。
すなわち、自分の過去や現在はともかくとして未来、それも自分の人生の最後を思い描き、そこから現在に時間が流れ込んでいるとしたら、今日を、明日を、これから1週間をどのように過ごしていくか、決めることができるのではないでしょうか?
それに対して人がとやかく言うことを気にせず、ワガママに生きていけばいいのです。(繰り返しますが、人に迷惑をかけない範囲で…)
あらたなコンフォートゾーン作りは単なる一里塚 (マイルストーン)
そう考えると、新たに作るコンフォートゾーンは、まず次のステップに移るための一里塚 (マイルストーン) に過ぎず、最終目的地ではないことに気づきます。
終わりを思い描くことから始めて、そこから現在に向けて一気に線を引くことはできません。
終わりに向かうプロセスとして、まずは今からどういった領域に到達するかを考え、そこに飛び込み、それが自分にとって快適な領域 (コンフォートゾーン) なのか確認し、違っていたら修正を重ねていく。
そんな風に進めていきたいと思います。
つらつら考えていたら、スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチが頭の中で巡ってきました…
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さて、またちょっと長くなってきたので、明日に続けます。
ではまた!
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(2016.1.7記)