さて、「自分をアップデートするために、新たなコンフォートゾーンを作りそこに飛び込む」ことについて、元旦からこのブログで書き連ねてきました。
ところが、なんと自分で決めたことなのに、「自分をアップデートする」ことに未だに抵抗している自分がいることを今日は告白します。
思い浮かんだ「嫌われる勇気」の一節
自分を変えよう、アップデートしようとした時に、自分の中に生まれた抵抗を感じて、2年前に読んだ「嫌われる勇気」の内容をふと思い出しました。
この本は未だにベストセラーになっていますので、読まれた方も多いと思いますが、アドラー心理学について哲人と青年が会話を交わすスタイルで書かれています。
この本の中で冒頭、哲人が青年にこのように言います。
ライフスタイルを変えようとするとき、われわれは大きな “勇気” を試されます。
変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。きっとあなたは後者を選択されたのでしょう。
人はよく「変わりたいのに変われない」といいます。そして、変われない理由を次々と挙げていきます。
曰く、ほんとは会社を辞めて独立したいが、まだ子どもが小さくリスクのある独立はできない etc,etc…
しかし、それは「変われない」のではなく、「変わらないことを選択している」に過ぎないというのです。
頭では分かっているのに、まだ腑に落ちていなかった!
僕は、この「嫌われる勇気」を読む前から、やりたいのに何かと理由をつけてやらないのは、ほんとはやりたくないからだ、と気づいていました。
でも、その気づきは「頭で分かっている」レベルで、ほんとうに「胃の腑に落ちて納得した」レベルではなかったのです。
新年を迎えるにあたって、今回自分をアップデートしよう、と決心したのはついつい現状維持に走ろうとする自分に対する「不満」でした。
そして、実際にアップデートしようとして行動を始めた途端に抵抗を感じたのは、新たにアップデートした自分が以前よりパフォーマンスが落ちてしまうのではないか、という「不安」に苛まれたからでした。
変えることへの「勇気」を持つ
同じ「嫌われる勇気」に、次の言葉が登場します。
神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる心の平静さと、変えることのできる物事を変える勇気を授け給え。そして、この二つの違いを常に見分けられる知恵を授け給え。
これは、キリスト教社会で古くから口承されてきた「ニーバーの祈り」という有名な言葉だそうです。
心の平静さと勇気と知恵、この言葉が凄く響きます。
特に、変えることのできる物事を変える勇気は、なんとしても持たなくてはいけません。
そして、自分をアップデートすることに躊躇してはいけない、と改めて思った次第ですが、ではその勇気はどのようにしたら持つことができるでしょうか?
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さて、ちょっと長くなったので今日はここまでにして、次回に続けます。
ではまた!
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え | ||||
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(2016.1.20記)