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6月23日は日本人が忘れてはいけない沖縄 “慰霊の日” ・・・あの過ちを繰り返してはいけないという “不戦の誓い” を心に刻み、次の世代に伝えたい

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アイキャッチ画像(画像出典元はこちら)

さて、昨日 (6月23日) は、あの第二次世界大戦が終戦を迎えた1945年 (昭和20年) 、沖縄における地上戦が終結した「慰霊の日」でした。

今日は、いろいろな報道を見て、改めて感じたことを記しておきたいと思います。

最大規模の地上戦だった沖縄戦

あの日、沖縄守備軍司令官牛島満大将らが自決し、沖縄における組織的戦闘が終結しました。

80日にもおよぶ地上戦で、住民を中心におよそ20万人もの犠牲者を出した、痛ましい戦いでした。

その沖縄戦を、Wikipediaで確認してみました。要約すると以下の通りです。

沖縄戦は、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いであり、第二次世界大戦における太平洋地域での最大規模の地上戦でした。また、これが日米最後の大規模戦闘だったのです。

アメリカ軍は、日本本土攻略のための航空基地・補給基地の確保を目的として、沖縄を攻撃しました。

日本軍の現地の第32軍司令部の目的は、当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」を意図したものでした。

そのため、敵を内陸部に誘い込んでの持久戦を基本方針として戦い、そのため住民にも多数の被害が出たのです。

劣勢に立たされた地域で、敵が迫ると投降するのではなく、集団自決が起きるなど痛ましい事態が発生しました。

これは住民の自主的な判断ではなく、日本軍に自決を強要された結果とする説もあります。

この沖縄戦は、1945年3月26日から始まり、主要な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は日本軍司令官の自決により、6月23日に終了したのです。

平和祈念公園に建立された「平和の礎」

終戦から50年が経った1995年のこの日、沖縄県の平和祈念公園に戦没者23万4千名の氏名を刻んだ「平和の礎 (いしじ) 」が建立されました。現在も、追加刻銘を受け付けているそうです。

平和の礎

いしずえを方言で「いしじ」というそうです。国籍及び軍人、民間人を問わず、沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名が刻まれています。

中には、生後間もなく亡くなり名前が不明のまま「○○○の次男」「○○○の三女」などと刻まれた方もいるとか…

改めて「不戦」を誓い、次の世代に伝えたい

沖縄では、繰り返し駐留米軍基地による問題が大きくクローズアップされます。その背景には、日本全土にある米軍基地の約3/4が沖縄に集中しているという現状があります。

終戦後、沖縄はアメリカの施政権下に置かれ、1972年 (昭和47年) 5月15日に返還されるまで、実に27年を要しました。

それから44年経った今も、さまざまな歴史から逃れられない沖縄の現状があるのです。

私達日本人は、8月6日の広島原爆の日、同9日の長崎原爆の日、そして8月15日の終戦記念日と共に、沖縄「慰霊の日」と「返還の日」も深く心にとめておく必要があるのではないでしょうか。

それ以上のことを偉そうに言う資格は、僕にはありません。

そして、二度とあの悲惨な戦争を繰り返さないことを誓い、そのことを次の世代にきちんと伝えていくことが大事だと思うのです。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
 
 
・・・・・・・・・・・・
(2016.6.24記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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