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閑話休題。
さて、3月初日を迎えました。この日は今から63年前の1954年 (昭和29年) に、太平洋ビキニ環礁付近で操業していた日本のマグロ漁船第五福竜丸が、アメリカの水爆実験で被爆した日です。
第五福竜丸は、なぜ被爆したのか?
Wikipediaによると、1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中に、ビキニ環礁でアメリカ軍により行われた水爆実験 (キャッスル作戦・ブラボー (BRAVO)、1954年3月1日3時42分実施) に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被爆した、とされています。
実験当時、第五福竜丸はアメリカ合衆国が設定した危険水域の外で操業していました。危険を察知して海域からの脱出を図りましたが、延縄 (はえなわ) の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰 (いわゆる死の灰) を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆してしまいました。
予想以上に深刻な被害が発生した原因は、当初アメリカ軍がこの爆弾の威力を4〜8Mtと見積もり、危険区域を狭く設定したことにあります。爆弾の実際の威力は、その予想を遥かに超える15Mtであったため、安全区域にいたはずの多くの人々が被爆することとなったのです。
反核運動の萌芽へ
第五福竜丸が、アメリカ軍による水爆実験に巻き込まれて被爆した出来事は、日本国内で反核運動が萌芽するきっかけになりました。
広島・長崎への原爆投下で多数の犠牲者を出した日本では、核アレルギーが生々しく刻み込まれ、その傷跡も癒えぬうちに新たな被爆者を出したのですから、受けたショックはいかばかりだったでしょう。
しかし、第五福竜丸被爆以降、戦後復興のためアメリカから原子力利用のノウハウを導入するという政府方針によって、現在の原発問題に繋がる歴史が作られてきました。
最後に
人間の英知を尽くせば、原子力の制御は可能なのでしょうか?それとも100%の制御は不可能なのでしょうか?
少なくとも現在、素人の目から見て100%の制御は不可能に見えます。そうした問題が、現在の原子力ムラの権力構造によって歪められているように思えてなりません。
福島原発事故の後、避難生活を余儀なくされた小中学生がいじめに遭うなど、その後に波及した問題も深刻です。
現代生活に欠かせない電力の供給は、原発に頼るのではなく、再生可能エネルギーなどさまざまな手段で手当していくことが求められているのではないでしょうか。
私たちの子々孫々の代に残す負の遺産は、なんとしてもなくしたいものです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2017.3.1記)