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さて、「今日の一言メモ」第417回です。
「他山の石」
「他山の石 (たざんのいし) 」とは、他人のどんな言動でも、たとえそれが誤っていたり劣っていたりした場合でも、自分の知徳を磨いたり反省の材料とすることができるという例えです。
中国最古の詩篇である『詩経-小雅・鶴鳴』の「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに基づくそうです。
「よその山から出た粗悪な石でも、それを砥石に利用すれば自分の玉を磨くのに役立つ」という意味で、他人の誤りを自分の修養の役に立てることを指しています。
「他山の石とする」ともいいます。
人の振り見て我が振り直せ
類義の言葉として、「人の振り見て我が振り直せ」「人を鑑とせよ」「人を以て鑑と為す」などがありますね。他人の行動を見て、良いところは見習い、悪いところは改めよということです。
今回のコロナ禍でも、緊急事態宣言が発出され外出自粛が要請されている中で、いろいろな人の様々な言動を目にすることになりました。
自分の言動を、客観的に見ることはなかなかできません。人には「なくて七癖」というように、本人も気付いていない癖があるものです。
そうした振る舞いが、他の人に迷惑をかけたりしていないか、常々気をつけておく必要がありそうです。
失ったものを嘆くのではなく、まだ失っていないものに目を向ける
今回の新型コロナウイルスの感染者は、全国で1万5千人を超え、そのうち600人近くの方が亡くなられました。有名人・知名人であろうと市井の無名の人であろうと病魔はお構いなしに尊い命を奪っていきます。
今回の病魔は、家族が最期を看取ることも火葬場でお骨を拾うことも許さず、悲しみだけでなく、悔しさややりきれなささえ感じます。
また、感染していない多くの人の自由を奪い、その行動を縛り、それまで当たり前だった何でもない日常を過去のものにしてしまう恐ろしさを持っています。
でも、失ったものを思い、嘆き悲しむだけでは負けだと思います。大切な人を亡くした方も、まだ愛する家族がいるでしょう。自由な行動を奪われても、まだ健康な身体があるはずです。
今は、まだ失っていないものの有り難さと大切さに目を向け、深い感謝の気持ちを持ち、今までよりもっとそれらを大事にする機会として捉えることが大切だと思います。
その姿勢が、喪失を獲得に変えていくはずです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.5.9記)