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さて、「今日の一言メモ」第632回です。
「常識」
2021年を迎えて、「常識」とは何ぞや?と改めて問うてみました。この言葉を Wikipedia で調べると次のように記載されていました。
常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。
1956年 (昭和31年) に生まれて、少年時代を「Always 三丁目の夕日」世代として育った僕は、日本の高度成長期と共に成長しました。当時は、製造業が日本経済を牽引し、輸出産業により経済成長を実現していました。
そうした社会構造を構成する人材は、均質な能力を持ち、聞き分けの良い従順さが求められていたと思います。今のような少子化の時代ではなかったので、多くの子どもたちが1クラス50人近い小学校から中学、高校に学び、均質な教育を受けました。
その結果、いい学校を出て、いい会社に入り、結婚して子どもをつくり、住宅ローンを組んで郊外に家を建て・・・という人生設計が一つの常識として確立したのだと思います。
僕の父親はホワイトカラーだったので、それが必然的に僕が育っていく中で身につけた常識でした。そして、時を経てそうした「常識」は、他人の目から見て当たり前の価値観であり、我と我が身を縛る鎖と化していきました。
「年相応」に生きるとは?
還暦を過ぎて数年が経ち、まもなく65歳になります。その中で否応もなく意識させられたのは「年相応」に振る舞うという常識です。
国連の世界保健機関(WHO)の定義では、「高齢者とは65歳以上」となっています。そして、この定義は1960年代中盤に決められたものだそうです。この時代の日本人の平均寿命は、男性で63歳くらいだったので、65歳が高齢者でもちっとも不思議ではありません。
でも、今では男性でも平均寿命が80歳を超えています。(こちらの記事参照)
そして、60歳どころか70歳、80歳になってもすこぶる元気な方が多くいます。体力年齢はどんどん若返っているのです。
そんな中で、65歳だからあなたは高齢者ね、と言われ、高齢者らしく年相応に生きましょう、と言われても違和感を感じるばかりです。
自らの体力・知力相応に生きる
もちろん65歳で十分老け込んでしまった人もいるでしょう。反対に、筋骨隆々で若い人にちっとも負けない体力の持ち主もいるでしょう。
要は、個人個人でまったく違うわけです。ですから、肉体年齢で一律に線引きをすることには当然無理があると言えます。
というわけで、年相応に生きるのではなく、自らの体力・知力相応に生きることに徹したいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2021.1.4記)