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さて、「今日の一言メモ」第664回です。
「先ず隗より始めよ」
「先ず隗(かい)より始めよ」とは、遠大な事業や計画を始めるときには、まずは手近なところから着手するのがいいという例えです。また、物事は言い出した者から始めよという例えでもあります。
「隗」とは、中国の戦国時代の人物、郭隗のことです。どうすれば賢者を招くことができるかと燕の昭王に問われたときに郭隗が、「まず私のような凡人を優遇することから始めて下さい。そうすれば優秀な人材が集まってくるでしょう」と言ったという、『戦国策・燕』にある故事に基づいています。
今日2月8日を「事始め」の日と捉える
今日2月8日は、12月8日と並んで「事八日」(ことようか)といいます。
12月8日を「事始め」、2月8日を「事納め」という場合と、その逆に、2月8日を「事始め」、12月8日を「事納め」という場合があります。
「事」とは、もともと祭り、あるいは、祭り事を表す言葉で、コトノカミという神を祭るお祭りです。そのお祭りが、12月8日と2月8日の2回あり、「事八日」「事の日」などと言われました。
コトノカミが「年神様」か「田の神様」かで、事始めと事納めの時期が逆転します。この日付の違いは、この時に始める「事」が新年に迎える神様の「事」なのか、田畑を耕し農耕に勤しむ人の「事」かという違いだそうです。
年を司る神様を年神様といい、年神様を迎えるために正月行事の準備を始めるのが12月8日の「事始め」で、年越しの「神事」が始まる日です。そして、後片付けもすべて納めるのが2月8日の「事納め」です。
こうして神様に関する一連の「事」が終え、2月8日になると、春を迎え田畑を耕す時期となり、人々の日常が始まるので、この日が「事始め」となります。
というわけで、年神様を迎える正月行事という「神事」の期間と、それ以外の人の「日常」の期間とに分けるとすれば、一方の始まりの日はまた一方の終わりの日になるわけです。
新たな自分に再生することを始める日
現代経営学、そしてマネジメントの発明者といわれるピーター・F・ドラッカーが「創生の時」(絶版) という本の中に記した一文があります。
今日の社会と組織では、ますます多くの人が、
技能ではなく知能によって働く。
知識と技能には基本的な違いがある。
技能はあまり変化しない。
知識は変化する。
自らを陳腐化させる。
しかも急速に陳腐化させる。
三、四年ごとに学校に戻らなければ
時代遅れになる。
これは、若い頃習得した知識、技能、経験では
不十分になるということである。
人は変化していかなければならない。
新しい欲求、能力、世界観を持たなければならない。
自らを再生させていかなければならない。
ここでは、活性化ではなく、
あえて再生という言葉を使いたい。
50年も働くことが当たり前のこととなったからには、
自らを再生することが不可欠となる。
たんに活力を得ることを越え、
新しい自分を作らなければならない。
四半世紀以上前に、こうしたことを喝破していたドラッカーの慧眼には驚かされます。
そして、今日を自らを再生するための「事始め」の日としたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.2.8記)