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さて、「今日の一言メモ」第691回です。
「電気記念日」
今日3月25日は「電気記念日」です。この記念日は、日本電気協会が1927年9月に制定しました。
それは、今から143年前の1878年(明治11年)3月25日に、東京・銀座木挽町(今の東銀座、歌舞伎座あたり)に開設された中央電信局の開局祝賀会が、虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、式場に50個のアーク灯が点灯されたことを記念したものでした。
このアーク灯が、日本で初めて灯った電灯でした。
次の画像は、1882年(明治15年)11月1日に、一般庶民が初めて電灯を見た時のものです。銀座2丁目の大倉組の前(現在の松屋銀座店の向かい)で、午後7時30分に点灯されたそうです。
電柱の高さ5丈(15m)、ローソク4,000本分の明るさで、1時間点灯するのに20銭必要だったとか。
電気といえば計画停電を思い出す
あの東日本大震災からちょうど10年経ちましたが、発災後は原子力発電所が全て停止されたことによって電力供給が大幅に減った状態が長いこと続きました。
当時、我が家は計画停電の対象地でしたから、1日に二度も停電しました。一度停電すると約2時間は続きます。3月11日からしばらくの間は、まだ寒さが残っていましたね。被災地に比べればなんということはありませんでしたが……。
街では、不要不急の照明は消され、エスカレーターは停止し、夜はずいぶん暗い状態でした。それでも真っ暗になるわけではないので、生活に困ることはありませんでした。
夏になると、エアコンや甲子園の高校野球テレビ観戦などで電力消費が増大します。電力需要が供給量を上回ると大規模停電を引き起こすということで、ずいぶん節電節電とやかましく言われたものです。
節約=モッタイナイ精神はどこへ
それが喉元過ぎればなんとやら、いつの頃からか節電運動は影を潜め、夜の街は煌煌と明るくなり、エスカレーターは動き出しました。
そういえば、環境分野で初のノーベル平和賞を2004年に受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんが、2005年の来日の際に感銘を受けたのが「もったいない」という日本語でした。マータイさんはこの美しい日本語を環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱しました。
でも、当の日本人は現在、どれだけ「もったいない」精神を受け継いでいるのでしょうか。節約という心構えはどこまであるのでしょうか。
昭和世代のおじさんである僕は、小さいときから駅弁の蓋についたご飯粒から食べるように躾けられました。もったいないからです。お百姓さんが一生懸命作ってくれたお米を無駄にするようなことをすれば、こっぴどく怒られたものです。
そして、出された食事は残らず食べるように躾けられました。残すなど、食事を作ってくれた人に失礼にあたるからです。
でも、現代は駅弁の蓋についたお米粒を食べるようなみみっちいことはするな、出された食事を無理して全部食べるような身体に悪いことはするな、と教えられていると聞いたことがあります。
街を無駄に明るくする照明に消費される電力、使命を全うできず残飯として廃棄される食料、こうした数々の「もったいない」をなくすことはやはり必要でしょう。
視点を変えて、国会の様子を見ると旧態依然とした運営に溜息が出てしまいます。議員や官僚が詰めかける議場の密な様子、紙資料の膨大さ、それに伴う官僚事務作業の非効率さ、国民にはテレワーク7割などと要請しておきながら、自分たちはまるでテレワークなど関係ないというやり方、それに付随する官僚諸氏の狂気じみた残業時間の多さなどに呆れてしまいます。
なんという資源の無駄遣いでしょう。緊急事態宣言中の国会議員銀座クラブ通いは、自分たちは特別だという特権階級意識が象徴的に表れた事例だと思います。
資源の無駄遣いをなくすために「モッタイナイ精神」を取り戻す
今の日本にあふれている人・物・金・時間・情報などの資源の無駄遣いをなくすためには、デジタル化・省エネルギー化などの政策が当然必要ですが、その根底には「モッタイナイ精神」が脈々と流れている必要があると思います。
個人の生活でも、常に節約すべきは節約する必要があるでしょう。節約はケチとは違います。お金であれば、使うべきときにドーンと使うために浪費は慎み消費は最小限に留めるという節約をするべきでしょう。
時間は、お金と違って貯めることもどこかから借りてくることもできません。目の前の1分1秒は過ぎ去ってしまえば還ってきません。お金よりさらに浪費を慎み、消費のみに使うことなく未来の自分への投資に使いたいものです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.3.25記)