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さて、「今日の一言メモ」第714回です。
コロナで失ったもの
昨日は、神戸市の介護老人保健施設で先月中旬から7日までに、入所者97人と職員36人のあわせて133人が新型コロナウイルスに感染し、このうち入所者25人が死亡したとの報道がありました。
亡くなられた25人の方のうち、医療機関に入院できていたのは2人だけだったそうです。なんとも無念なことです。心からお見舞い申し上げます。
そして、亡くなられた方のご遺族は、なんとも言えない無力感を感じたのではないでしょうか。毎日報道される感染者数、重症者数、死亡者数は単なるデータとしか見られていませんが、お一人お一人ご本人と家族にとっては苦しみ悩む日々が続いているはずです。
昨日まで当たり前だった日常が、突然コロナに奪われてしまうのはやりきれません。
誰もが経験する喪失感
誰もが生きている中で、大切な何かを失うときがあります。それは健康だったり、愛する人だったり・・・
そして、失った後にその大切な何かを、一点の悔いも残らないほど大切にしてきたか?と問われたとき、胸を張ってイエスと答えられるでしょうか。
イエスと答えられることは稀なことかもしれません。ほとんどの場合は、きっと失ってからその価値に気づき、感謝し、そして大事にしたかったと後悔するはずです。
生きていく中で、確かに私たちは大切なものをたくさん失っていきます。そのときは、喪失感や後悔の念で自分を不憫に思ったり絶望感に陥ったりしないことが必要だと思います。
まだ失っていないもので、まだその価値に十分に気づいてこなかった “なにか” に気づき、深い感謝の気持ちを持ち、今までよりもっとそれらを大事にする機会として捉えることが大切でしょう。
その姿勢が、喪失を獲得に変えていくはずです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.5.9記)