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【今日の一言メモ】・・・コロナ禍でできないことが多い今は、今できる事へ目を転じ、新たな経験を積むチャンスと考える

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(画像出典元はこちら

さて、「今日の一言メモ」第725回です。

「禍福は糾える縄の如し」

「禍福は糾える縄の如し」(かふくはあざなえるなわのごとし)とは、災いと幸福は、まるでより合わせた縄のように表裏一体で、かわるがわるやって来るものという意味ですね。

不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりするわけです。

成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということを表しています。

『史記・南越列伝』には「禍に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾える縄の如し」とあり、『漢書』には「それ禍と福とは、何ぞ糾える縄に異ならん」とあるそうです。

「人間万事塞翁が馬」

「禍福は糾える縄の如し」に類した言葉は、たくさんあります。

「浮世の苦楽は壁一重」「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」「人間万事塞翁が馬」「楽は苦の種、苦は楽の種」etc,etc…

僕は、特に「人間万事塞翁が馬」(にんげんばんじさいおうがうま)が記憶に刻まれています。これは、次のような故事に基づいています。

昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。

やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。

すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。

一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし、足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという。

今できる事へ目を転じ、新たな経験を積むチャンス

コロナ禍で繰り返される緊急事態宣言の中では、なかなか気持ちは上向きません。昼間も酒類提供の自粛が求められているお店では、美味しい生ビールを飲むこともできません。

あれもできない、これもできない、と考えると顔も下を向きがちです。でも、できないことを無闇に嘆くよりも、今できることに着目するほうが良さそうです。

例えば、よく行く居酒屋さんでいつもは生ビールと枝豆に煮込みを先ずオーダーし、その後はお酒とおつまみを楽しんでいたとします。でも、今はお酒を飲めません。ふと、メニューを見たら刺身定食、焼き魚定食、天ぷら定食と書いてあります。

そこで、普段頼まない定食を食べてみることにします。すると、そのお店のご飯が炊き立てで凄く美味しいことに気づくかもしれません。味噌汁の出汁(だし)がとっても美味しくて思わずお代わりしてしまうかもしれません。

また、刺身や焼き魚、天ぷらと炊き立てご飯に味噌汁が絶妙のハーモニーを奏でていて唸るほどの美味しさかもしれません。そんなことに気づけたのは、お酒が飲めなくなったお陰です。

こうしたことは、日常生活で他にありそうです。人間、どうしても決まった行動を取りがちです。普段してきたことが今コロナ禍のためできない、と嘆く代わりに、できることに目を転じ新たな経験をしてみる、そしてそれに感謝するというのも悪くありません。

・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

・・・・・・・・・・・・
(2021.5.24記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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