Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

【今日の一言メモ】・・・つらい時や苦しい時は、真っ正面からそれを味わい尽くし、明るく楽しい時が来たときの喜びを何倍にも増幅させる

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(画像出典元はこちら

「禍福は糾える縄の如し」

「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し」とは、災いと幸福は、まるでより合わせた縄のように表裏一体で、かわるがわるやって来るものという意味ですね。

不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりするわけです。

成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということを表しています。

『史記・南越列伝』には「禍に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾える縄の如し」とあり、『漢書』には「それ禍と福とは、何ぞ糾える縄に異ならん」とあるそうです。

悪い事があれば、必ず良い事があると信じる

「禍福は糾える縄の如し」に類した言葉は、たくさんあります。

「浮世の苦楽は壁一重」「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」「人間万事塞翁が馬」「楽は苦の種、苦は楽の種」etc,etc…

僕は、特に「人間万事塞翁(さいおう)が馬」が記憶に刻まれています。これは、次のような故事に基づいています。

昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。

やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。

すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。

一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし、足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという。

つらさ・苦しさを味わい尽くす時

つらい時や苦しい時は、そのつらさ・苦しさを味わい尽くす時期が到来したのだと、そのつらさ・苦しさを我と我が身に十分感じさせるチャンスなのだと、言い聞かせてみてはどうかと思っています。

今、この時を存分に味わい尽くし、我と我が身に染み込ませれば、明るく楽しい時が到来した時に、その明るさや楽しさを何倍にも感じることができるのだ、と思えばなんとか耐えられるのではないでしょうか。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

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(2023.5.24記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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