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さて、『今日の一言メモ』第1069回です。
「袖振り合うも多生の縁」
「袖振り合うも多生の縁」とは、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるという意味です。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく言葉です。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味で、「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のことを指します。「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいいます。
「思い込み」や「固定観念」
都会に住んでいる人は、一歩外に出れば実に多くの人とすれ違うことになります。袖が触れ合うどころか、通勤電車に乗れば四方八方からぎゅう詰めになり、雑踏を歩けば他人の身体にぶつかることもあるでしょう。
そんな人たちに対して「袖振り合うも多生の縁」と感じることなどできないでしょう。そして、それが当たり前になり、いつしか他人に対して無関心でいることが当たり前になります。
よしんば、見ず知らずの人に縁を感じて(どっかで会ったかも、とか)声をかけても不審者扱いされるのがオチです。そして、そんな生活を繰り返すうちに、一種の「思い込み」や「固定観念」が自分の中に座り込む気がします。
「他人とは関わらない方がいい」「他人と関わると損をする」・・・そんな「思い込み」や「固定観念」が。
自分から働きかける機会を逃さない
僕は結婚して以来、ずっとマンション暮らしです。今住んでいるマンションに入るためには、まず2カ所のオートロックのドアを通り抜けなければなりません、今はマンションキーを所持していれば、一々キーを取り出すことなくワイヤレスでロックを解除してくれるので楽チンです。
そのマンション内の廊下やエレベーターでは、いろいろな住人の方にお会いします。知り合いでなくてもニッコリ微笑んで挨拶して下さる感じのいい方もいれば無愛想で無表情な方もいます。
興味深いのは、目を合わさずに通り過ぎようとしていた方でも、こちらから挨拶をするとビックリしたように挨拶を返してくれる方がいる一方で、挨拶をまったく無視して行き過ぎる方もいることです。
向こうから挨拶してくるなら返す、あるいは徹底的に無視を決めこむ方に分かれるわけです。
まあ、自分から挨拶しても返してくれない人が多いと、挨拶するモチベーションが萎えてしまうであろうことは想像に難くありません。
僕は、相手の反応が興味深いので、どんなに無視されてもこちらから挨拶をするようにしています。ただ、残念なのは小学生や中学生に「こんにちは!」と元気よく挨拶してもまったく無視する子が結構いることです。
マンションの外側だったら、知らないオジサンに声をかけられたら反応しちゃダメよ、と親御さんに言われていても分かりますが、マンション内でその対応は如何なものでしょうか……。きっと、親御さんも徹底無視のスタイルを貫いているのでしょう。
でも、めげずにこれからもこちらから元気よく挨拶することは続けたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2023.1.30記)