「今日は何の日?」シリーズ118回目です。
今から119年前の1985年11月27日に、スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルが、自分がダイナマイトで得た財産を人類の平和に寄付するという遺言状を書きました。そして、この日は「ノーベル賞制定記念日」となっています。
日本にとってノーベル賞の意義は
三丁目の夕日世代の富田にとって、高さ333mで当時電波塔の高さ世界一だった「東京タワー」、時速200kmを超える世界一早い新幹線「夢の超特急ひかり」と並んで、日本人のノーベル賞受賞者は、子どもながら誇らしい存在でした。
1949年に日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士 (物理学賞)、1965年に同じく物理学賞を受賞した朝永振一郎博士、1968年に文学賞を受賞した川端康成氏という名前は、子ども心に深く刻まれました。
今では聞かれなくなりましたが、当時は「末は博士か、大臣か」という言葉がありました。出来の良い子どもは、そう呼ばれたものです。
博士や大臣になるだけでも大変なのに、「世界で最も名誉ある賞」であるノーベル賞を受賞するなど、雲のまた上の出来事のように思えたのです。
それだけに、日本人でノーベル賞を受賞した、ということは、50年前に開催された東京オリンピックで日本の国力を示すことができたように、日本人の優秀さを証明できたという大きな意義を持っていました。
ノーベル賞の歴史
そんなノーベル賞の授与式は、1901年から始まりました。
当初は、物理学、化学、医学生理学、文学、平和、の5分野でしたが、これに経済学が加わり、今ではこの6分野で顕著な功績を残した人物に贈られています。
賞設立の遺言を残したアルフレッド・ノーベルはスウェーデンの発明家・企業家であり、ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬の開発・生産によって巨万の富を築きました。
しかし、爆薬や兵器をもとに富を築いたノーベルには、一部から「死の商人」と呼ばれるなど、批判の声が上がっていたそうです。
そして、ノーベルは死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになり、このことがノーベル賞設立のきっかけになったのです。
1896年に、ノーベルは63歳で死去しましたが、遺言は死の1年以上前に署名されていました。
この遺言でノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残しています。
彼はこの遺言のために、総資産の94%を残しました。その後、ノーベル財団設立委員会が結成され、賞設立の準備を行いました。そして、賞の名前はノーベルを記念してノーベル賞とされたのです。
・・・2014年は、青色LEDの発明により、赤崎勇終身教授、天野浩教授、中村修二教授が物理学賞を受賞しました。村上春樹氏は、毎年文学賞受賞最有力候補に挙げられながら、今年も受賞を逃しましたが…
このノーベル賞受賞のニュースは、今の子ども達の心にもきっと刻まれたことでしょう。そして、自分が進む道を見出した少年少女もいるかもしれません。
さて、来年はどうなるでしょうか。日本人受賞のニュースを楽しみにしたいですね。
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今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2014.11.27記)