さて、今日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入った「忠臣蔵の日 」です。
「忠臣蔵の日」の由来
今から312年前の元禄15年 (1703年) 12月14日に、大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士 (四十七士) が吉良上野介邸に討ち入りを行ないました。
これにちなんで、赤穂市では赤穂義士祭、赤穂浪士の墓所泉岳寺においては義士祭が行われます。
江戸本所松坂町にあった吉良邸の一部は現在松坂公園となり、毎年この日は元禄市で賑わうそうです。午前中は義士祭、午後は吉良祭が行われるとか。
「忠臣蔵の日」に思うこと
これまで一体何回「忠臣蔵」の映画やドラマを見たことでしょう。
NHKの大河ドラマでは、赤穂浪士を題材にしたものだけで、4作品制作されていました。
1964年 (昭和39年) の『赤穂浪士』、1975年 (昭和50年) の『元禄太平記』、 1982年 (昭和57年) の『峠の群像』、1999年 (平成11年) の『元禄繚乱』です。
大河ドラマに限らず、これからも様々なバリエーションで「忠臣蔵」を描いたドラマは登場することでしょう。
時代を超えて、これだけ多くの作品が作られ、人気が持続しているのは何故でしょうね?
やはり日本人のDNAに訴えかけるストーリー性でしょうか?
そこには、日本人が憧れる人間像が描かれているからでしょうか?
主君が数々の侮辱を耐え忍ぶ姿、片手落ちの裁定により切腹を迫られ、その屈辱に耐える家臣、お家断絶となり散り散りになりながら秘かに心に秘めた仇討ちへの決意、艱難辛苦乗り越えて耐えに耐えた挙げ句に実現した討ち入り、見事本懐を遂げて清々しく散っていく浪士達・・・
この根底に流れる人生美学には、小さい頃から今までまったく色褪せることなく感動を覚えます。
時代は違えど、そんな風に一途に生きていきたいと思わせる何かがあるのです。
・・・というわけで、これから生まれてくる世代にも「赤穂浪士」のハートは受け継いで欲しいな、と願う「忠臣蔵の日」の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2015.12.14記)