さて、今日は僕の脳内アンテナに引っかかってきた、ある言葉がとっても腑に落ちたことについて書くことにします。
「知っている」ことと「実践できること」の違い
年明けからこのブログで、さまざまな取り組みのために自分に必要なことを書き連ねてきました。
その中で、「目標達成への判断基準を、自分の内部に持つ」という言葉を何度も使いました。
この言葉を学び、そして自分のものにしようと思ったのは、今から2年近く前のことです。
当時、そのことをこのブログでも記事タイトルそのものにしてアップしました。
この時に学んだことは、それ以来「知っていること」になりました。しかし、それを本当に「実践できること」として自分のものにしてきたか、甚だ疑問です。
「平成進化論」を読んで腑に落ちた
さて、ビジネス系メールメディアで、個人発行として日本最大規模の「平成進化論」というメールマガジンがあります。
皆さんの中でも、読んだことがある方は、きっと多いのではないでしょうか?現在20万人超の読者がいるそうです。
著者の鮒谷周史さんは、もう12年以上にわたり、毎日欠かさず長文のメルマガを送信し続けています。僕は、もう6年以上定期購読しています。
そして、昨日 (2016.1.23)配信された「平成進化論 4514号」を読んで、すごく腑に落ちた部分があったのです。
それは、要約すると次のような内容でした。
全ての学びを、
自分のものとして形にするためには
何度も何度も、漆塗りのように、
聞き続け、学び続け、刷り込み続ける
必要があるのです。
知っていることを、無意識に実践できるために
ところで、自分が自転車に乗れるようになるまでのことを思い起こすと、実に懐かしいです。
小さい頃、自転車を買ってもらった時、最初から補助輪はついていませんでした。
補助輪がついていると、補助輪に頼った乗り方になってしまうのでよろしくない、という父親の方針だったのです。
それから、乗り方を教えてもらって、ペダルを漕ぐことで一定のスピードを保ち、その前に進む力でバランスをとって乗るのだ、と知ります。
でも、知ると乗れるは大違いで、父親に自転車後部を支えてもらって練習する日々が続きました。
何度も転びそうになりながら、練習を続けるうちに、一人で走ることができた瞬間が突然やってきました。
歓喜の瞬間でした。物心ついて、初めて味わった達成感だったかもしれません。
それ以来、特に乗り方など意識することなく、自転車に乗ることができています。
身につけたいことは、何度も何度も反芻すること
というわけで、何かを学んで、それをなんとか身につけたいと思ったら、その内容を書き留める・何度も見直す・実際にやってみることを繰り返す、といったことをしないといけないわけです。
こうしてブログに同じ言葉を何度も書くことで、その言葉が自然と口に出るようになったことも実感しています。
漆塗りの如く、何度も何度も塗り重ねることで、すぐに剥がれ落ちるようなメッキ貼りではない、ホンモノに近付くのだ、ということを改めて認識した次第です。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2016.1.25記)