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さて、昨日は、2年前に亡くなられた高倉健さんの座右の銘について、記事をアップしました。
「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」
その意味は、
辛いことがあっても、それは精進であり、自分を高めるために必要なことなのだ。
それを我慢したまま、たとえそれで終わることがあっても、自分の向上にとっては確実にためになっているのだから悔いはない。
ということでした。
そして、大手広告代理店電通に入社した年に過労自殺してしまった女性の痛ましい出来事を、ふと思い浮かべてしまいました。
死んで花実が咲くものか、というけれど・・・
過労自殺してしまった彼女が働いた軌跡は、精進とは呼べません。自分を高めるために必要なことだったとは、とても思えません。
彼女自身が、その状況から抜け出したいと思っていたことは、数々の報道で明らかになっています。
では、なぜ抜け出せなかったのでしょうか?
ここに「過労死と親の呪縛 ~僕らが仕事を辞められないワケ~」というタイトルで書かれたブログ記事があります。
過労死と親の呪縛 ~僕らが仕事を辞められないワケ~|【鬱を克服し、願いを叶える】楽に鬱を克服する ノガタノリタカ
このブログの著者は、自身について「僕もまた、過労死寸前までいった人でした。月の残業は150時間くらいしてたんじゃないかな。」と書いています。
そして、そんなに仕事が辛いのなら辞めればいい、と言われても「辞められない、辞めたくない」という心理が働くと言います。
その心理の奥底には、以下のような本音が隠れているのだ、と指摘します。
「役立たず、と嫌われたくない」
「必要とされないことが怖い」
「要らないって言われるのが怖い」
「認めてもらえないと、生きている価値がない」
その結果、仕事で死ぬことより、仕事を辞めることの方が、必要とされないことの方が
よっぽど怖い、という気持ちになるのだというのです。
そして、その深層には「頑張らないと、親に認めてもらえなかった」という、小さい頃の「親子の関係」が横たわっているのだと分析しています。
そして、著者は最後に痛切な叫びをあげています。
逃げろ
とにかく逃げろ
それは恥じゃない、罪じゃない
誰もあなたを責めてなんかいない
責めているのは、「記憶の中の親」だ
ヒラリー・クリントン氏が敗戦の弁で語った若者への言葉
そして、アメリカ大統領選でドナルド・トランプ氏に敗れたヒラリー・クリントン氏が、結果が判明した翌日、支持者たちに敗戦の弁を語った時の言葉が印象に残りました。
敗戦のクリントン氏が最後に語った最もパワフルな言葉 「若い人に聞いて欲しい」
その中で、彼女は若者を鼓舞するメッセージを送ったのです。
「皆さんに、特に若い人たちに聞いて欲しいんです。私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。勝ったことも、負けたこともあります。辛い思いもしました」
「あなたたちも、勝つこともあれば、負けることもあるでしょう。負けることは辛い。でも、決して、信じることをやめないでください。正しいことのために戦うことは、価値のあることです。やるべき価値のあることなんです」
最後に
クリントン氏が語った「決して、信じることをやめないでください」という言葉は、「決して、生きることから逃げないで下さい」とも聞こえます。
生きていくのがつらいほどの状況に追い込まれたら、たとえ親からの、周囲からの期待に背くことになろうと、後ろ指を指されようと、バカにされようと、非難中傷・罵詈雑言を浴びようと、とにかくその状況から「逃げて、生き続ける勇気を持つこと」が大事だと思います。
今の日本は、小さな拘りさえ捨てれば、どこに行っても生きていけると思います。生きて、捲土重来を期すことは可能です。
世界は広い。自分がいる狭い世界で限界を感じて自ら命を絶っては、金魚鉢の中を泳ぐ金魚と同じです。どうかそんな狭い世界の中で、自分を追い込まないで欲しいと思います。
今この時も、過労自殺を考えている若者がいるのでしょう…逃げることが恥ではないことに、どうか早く気がついて欲しいと切に願います…
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2016.11.12記)