(画像出典元はこちら)
閑話休題。
さて、昨日11月10日は、2年前に亡くなられた高倉健さんのご命日でした。最期は、悪性リンパ腫を患い、83歳の生涯を閉じたのでした。
昨日のテレビでは、追悼番組も放映されていました。やはり、日本男児の鑑ともいうべき方だったと思います。
当ブログで、以前書いたことがあるのですが、高倉健さんが死の直前に書かれた手記にある座右の銘を、折に触れ思い出します。
死の直前に書かれた手記
死の4日前に完成させた手記が、月刊誌「文芸春秋」に掲載されたのですが、これは同誌が戦後70年企画として、自身の戦後と映画人生を振り返る原稿を依頼したものだったそうです。(こちらの記事参照)
手記は原稿用紙16枚分。
その最後には、自身の歩みを
「出逢った方々からの想いに応えようと、ひたすらにもがき続けてきた」
と記し、交流のあった比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏から贈られたという
「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」
という言葉で締め括っています。
苦悩は幸福の一里塚、一層の奮起を
締め括りの言葉について。
行く道は精進にして
辛いことがあっても、それは精進である。
自分を高めるために必要なことなのだ。
忍びて終わり、悔いなし
それを我慢したまま、たとえそれで終わることがあっても、自分の向上にとっては確実にためになっているのだから悔いはない。
という意味です。
最期に
以前、登山が趣味の友人が語っていました。
「登山は、山頂を目指すものだけど、それだけが登山じゃない。どこに登るか計画し、装備を整え、スケジュールを立てて、そして登り出す。途中で出会う景色、登山者、いろんなもろもろを含めて登山なんだ。途中で天候が急変して、危険だと判断して下山しても、それはそれで登山だと思う。」
なるほど…と思いました。
それは、ゴールに辿り着くことを目標に置くのではなく、ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くすことを目標にする、という意味だと感じました。
そして、高倉健さんの言葉を思えば、明日息絶えたとしても、今日まで悔いを残さず生きてきたか、と自問してしまいます。
世に「三流は逆境に弱音を吐き、一流は逆境に可能性を語る」と言います。
自分の努力不足を棚に上げ、回りのせいにしていないか、ちょっとうまくいかなかったから、すぐに諦めたりしていないか・・・
一流は、無理だと思えるような状況でも可能性を探し、勝機を見出し、果敢に勝負します。
今日もまた、一流の野球人であるイチロー選手の言葉が思い浮かんできます。
「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」
はい!日々精進します!
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2016.11.11記)