(画像出典元はこちら)
さて、今日は「障害者の日 」です。
「障害者の日」の由来
国際障害者年であった1981年の12月9日に開催された総理府 (現内閣府) 主催の中心記念事業「広がる希望の集い」で制定された記念日です。
1975年に、国連総会で「障害者の権利宣言」が採択されたことを記念して制定されました。
「障害者の日」を迎えて
多くの選手が活躍したリオ・パラリンピックは、まだ記憶に新しいですね。
そして、先日こちらの記事を読んで印象深かったのが、盲目のヨットマン、岩本光弘さんです。3年前に、ニュースキャスターの辛坊治郎氏と共に小型ヨットで太平洋を横断中に遭難し、海上を漂流していたのを海上自衛隊に救助された方、と言えば思い出す方が多いのではないでしょうか。
記事に記載された、岩本さんのプロフィールは以下の通りです。
1966年、熊本県生まれ。先天性の弱視のため16歳で完全に失明。一時は自殺を考え絶望の日々を送っていたが、現在は、カリフォルニア州サンディエゴで指針術クリニックを経営、妻と娘と共に暮らしている。一人でも多くの人に夢と希望を与えるために、セミナー講師、ライフコーチとして日米で現在活躍中。
岩本さんが、辛坊治郎氏と2人で「太平洋横断」に挑み、遭難し、海上自衛隊の飛行艇によって救出されて帰国した後、待っていたのはバッシングの嵐でした。
「無謀な挑戦だ」「税金のムダ使い」「目が見えないくせに……」といったものや、「辛坊治郎は夢の実現のために全盲のヨットマンを利用した」などという誹謗中傷もありました。
岩本さんは、この時、太平洋横断なんて夢を見なければよかったのに・・・と思ったそうです。
しかし、岩本さんは、アメリカでの反応に救われます。「挑戦に失敗したことは確かに残念だ。でも岩本は驚くべき挑戦をした」「挑戦したという事実、それだけで評価されるべきだ」「勇敢だ」という声が寄せられたといいます。
日本とアメリカでは、「挑戦」に対する評価が全く違うのです。日本では、成功したか失敗に終わったかという結果に囚われるのに対し、アメリカでは、「挑戦」したことそのものを評価するのですね。
そして、岩本さんは、たった一度の失敗、ましてやバッシングやヘイトスピーチには負けたくないという思いから、今はトライアスロンに挑戦しようとしています。
それも、水泳 (3.8キロ)、自転車 (180キロ) 、フルマラソン (42.195キロ) を走破する最も過酷な競技に挑戦しているのです。それは、「恐怖」との戦いそのものだそうです。
最後に
岩本さんは、「何事にも意味がある」と言います。自分が盲目になったこともそう、太平洋で遭難したこともそう。
「どんなに辛い現状も、見方を変えればそれにも意味を見いだし、感謝することができる」と言うのです。
健常者である私達は、些細なことで悩み、愚痴を言い、後ろ向きになっていないでしょうか。岩本さんの前を向く姿勢を思えば、そんなことは恥ずかしくてできなくなります。
それと、「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという、故事に倣った例えですね。
・・・というわけで、何が起こっても一喜一憂せず、何事にも感謝できる自分になりたいと思った「障害者の日」の朝なのでした。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2016.12.9記)