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閑話休題。
さて、先日のブログで「“セレンディピティの日” に、セレンディピティを経験する」という記事をアップしました。
セレンディピティ (serendipity) とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することです。
それ以来、どうしたらセレンディピティを得る確率を上げることができるか、ということを考えて、もやもやしていました。
セレンディピティは、アイデア出しの副産物かも
セレンディピティを得るには、いろんなことを試行錯誤することが必要だろうと思われます。その中でも、さまざまなアイデア出しをすることは、とても有効でしょう。
よく言われることですが、アイデアとは突出した人が考える独創的なものではなく、既存の要素の新しい組合せ以外の何ものでもありません。
梅沢忠夫氏の「知的生産の技術」では、
カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである。
と書かれています。
野口悠紀雄氏の「『超』発想法」では、
新しいアイデアは、すでに存在しているアイディアの新しい組み合わせや組み換えで生じる。この意味で、どんなに独創的に見えるものでも、従来からあるものの改良なのだ。
と書かれています。
いずれにしても、ゼロから何かを作り上げるのではなく、既存のものを利用したり、新しい組み合わせを見つけることがアイデアの元になっているわけです。
このアイデア出しを、うんうん唸って行う過程で、セレンディピティが得られそうです。
アイデア出しの邪魔をする思い込み、固定観念
下の絵は、有名な「だまし絵」ですね。この1つの絵の中に、2つの顔が隠されています。見たことがある方も大勢いらっしゃると思いますが、同時に2つの顔を見ることは難しいのではないしょうか。
一つは、老婆の横顔です。顔のパーツは、こんな感じです。
もう一つは、若い娘のやや後ろから見た横顔です。顔のパーツは、こうです。
先に、老婆だと思うと、どう見ても老婆にしか見えません。反対に、若い娘だと思うと、もうどう見ても老婆には見えません。
これが「思い込み」というものですね。
こうした思い込みは、色々なアイデアや発想を生み出そうとしている時によく邪魔をしてくれます。物事を一面的にしか見せてくれず、多面的に見ることを拒みます。
この思い込みは、「固定観念」とも言いますよね。そして、思い込みや固定観念は、加齢と共に強固なものになってきます。いわゆる「頭の固い」人間になってくるわけです。
頭を柔らかくして、セレンディピティを得ていこう
ここで、パブロ・ピカソの言葉を思い出します。
子どもはみな、生まれながらに芸術家だ。問題はいかにして芸術家であり続けるかということだ。
アイデアは、既存のものを柔軟に様々に組み合わせていかなければいけないのに、これはこういう意味しかない、と思い込んでしまっては、折角持っているはずの能力が発揮されなくなってしまいます。
様々なことを思い浮かべて、それを固定化された形ではなく、アメーバのように変形させながら有機的に結び付けていく、そんなことができる柔軟な頭にしていきたいものです。年と共に凝り固まっていく脳を解きほぐして。
そうすれば、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること、すなわちセレンディピティを得ることができるかもしれません。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2017.1.30記)