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さて、今日は昨日に続き、アドラー心理学について書かれた「嫌われる勇気」の内容を思い出して考えたことを書き留めておきます。それは、タイトルに記したことです。
人はなぜ自分のことを嫌いになるのか?
人はなぜ自分のことを嫌いになるのでしょうか?なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないのでしょう?
それは、周囲の人から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に恐れているからだと、アドラーは説きます。
「他者との関係の中で傷つかない」いう目的のために、自分を嫌いになることを選択しているというのです。
即ち、こんな自分だから他人とうまく関係が結べない、という言い訳を作っているに過ぎないのです。
劣等感を持つことそれ自体は悪いことではありません。それをバネにして努力や成長を促すきっかけになれば良いのです。
でも、劣等感をある種の言い訳に使うことは好ましくありません。「学歴が低いから、成功できない」「器量が悪いから、結婚できない」というように。
人生は他者との競争ではない
劣等感とは、自分と他者を比べることで感じるものです。この世に自分しかいなかったら、劣等感など感じるはずがありません。
ただ、健全な劣等感は必要だとアドラーは言います。
健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものなのです。
まとめ
こうしたアドラー心理学に触れてから、物事の考え方がずいぶん変わってきました。
自分がいる世界は、ひとつのレイヤー (層) だと考えることにしました。自分しかいません。他の人は、それぞれその人の属するレイヤーで生きています。
自分と同じレイヤーに、その人がいたとしたら、前を進んでいるとか、追い越されたとか、競争の意識が生まれると思います。
でも、自分から見て異なるレイヤーを他の人は生きているのだ、と思うことによって、その人がどこまで進んでいるのかなど気にならなくなったのです。
その人が、いろんな実績を挙げた (例えば出版したとか、事業に成功したとか…) として、それを羨むのではなく、祝福する気持ちになれます。そして、自分も自分のレイヤーでそうした実績を挙げられるようになろうと発奮します。
大切なのは、昨日より今日、今日より明日、一日一日少しでも自分が前に進んでいることでしょう。よしんば後退することがあっても、一日でも早くリカバリーできるように頑張ればいいのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2017.2.23記)