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さて、今日の格言は、「いつも月夜に米の飯」です。
「いつも月夜に米の飯」とは?
苦労のない気楽な生活のことを指します。また、そうありたいが、現実はなかなかそういかない、という意味もあります。
今では考えられませんが、電気のなかった昔の人にとって月夜の明かりは貴重で、庶民にとって白い米の飯も限られた時に食べるごちそうであったため、それが毎晩続けば申し分ないとされていたのです。
また、そうでありたいとは思うが、なかなかそうはいかずに世の中は甘くないという意味を込めて使われていました。
8月13日は「函館夜景の日」
話は変わりますが、今日は「函館夜景の日」だそうです。「や (8) けい (K=トランプの13) 」の語呂合せから、この日に決まったそうです。
高さ334メートルの函館山山頂展望台から市街地を見下ろす夜景は、それは見事ですが、その効果もあって、地域ブランド調査2016 上位100市区町村魅力度ランキングで函館市は、3年連続4回目の首位に輝きました。
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函館山から見た夜景は、ほんとに綺麗ですが、函館に限らず都市部では、夜でも煌煌と明るく、特に繁華街は不夜城のようです。
当たり前のことが宝物
東日本大震災のあとは、節電が叫ばれ、暗い夜を久しぶりに経験しましたが、いつのまにか元通りになってしまいました。
また、月夜の明かりや白い米の飯が貴重だった時代は、遠い昔の話になってしまいました。
今や、毎日毎日米の飯が続いたら、炭水化物の摂りすぎと怒られそうです。僕らの世代だったら当たり前だと思うのですが、駅弁のふたを取って、裏に米粒が付いていたら、まずその米粒から食べます。
今、そんなことをしたら貧乏くさい、と言われるのでしょうか。
でもね、月夜の明かりや白い米の飯が貴重だった時代があったことを覚えておくのもいいと思うのです。
現代でも、世界中を見渡せば、飲み水が貴重な地域は、たくさんあります。白い米の飯に限らず、満足な食事にありつかない子ども達は、たくさんいます。
そして、日本でも某国からのミサイル攻撃1発で、飲み水や食物の供給が途切れる可能性はあるわけです。
というわけで、今、当たり前に手にしているもの、口にしているものが、どれほどありがたいか、お盆休みの休日に改めて感じている次第です。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2017.8.13記)