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さて、今日の故事ことわざは、「離見の見」です。
「離見の見 (りけんのけん) 」とは?
世阿弥が能楽論書「花鏡」で述べた言葉で、自分の姿を左右前後から、よくよく見なければならないという意味です。
実際には、自分の姿を自分で見ることはできないので、客観的に自分の行動を批判してくれる人を持つなど、ひとりよがりになることを避けるよう、心掛けなければならないという戒めです。
どうやって自分を第三者的に見ればいいのかについて、世阿弥は、「目前心後 (もくぜんしんご) 」という言葉を用いています。
「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」ということ、すなわち、自分を客観的に、外から見る努力が必要だといっているのです。
歳を重ねて、独りよがりにならないために
歳を重ねれば重ねるほど、地位が上に行けば行くほど、前を見ることが要求され、自分の後姿を見ることを忘れてしまいがちです。
自分が卑しくならないために、独りよがりにならないためには、自分を突き放して見ることが必要です。
全体の中で自分を客観的に見ることは、いつの世でも難しく、しかし必要とされることです。
自ら重ねてきた経験があればあるほど、見方は狭量になりがちです。自分の論理の正当性を強調したくなります。
そうならないためには、例えて言えば、ドローンを頭上に飛ばして、搭載したカメラを通じて自分の姿を俯瞰するようなイメージで眺めることが必要でしょう。
ICTやAIの技術的進歩に代表されるように、自分が経験してきた世界とは全く異なる世界が回りに拡がっていることに気付くはずです。
そうした世界で正しく過ごすためには、その世界で生き抜く卓越した術 (すべ) を身に付けた人物に教えを乞う必要があります。教えを乞う方の年齢性別は関係ありません。
それは、自分が70歳になっても80歳になっても変わらないと思うのです。
そして、自分が得た知識・経験から、今の時代に本当にお役に立つものを、提供することができたらいいわけです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2017.10.9記)