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さて、お陰様で 1,000日連続でブログを更新することができました。
そこで、今日はここまで更新してきて、見えてきたこと、感じたことについて書いてみます。
ブログ師匠達に感謝!
まずは、ブログのイロハから教えて下さった達人&恩人の皆さんに、お礼を申し上げたいと思います。
2012年10月にブログを開設する際、WordPressブログ構築講座で一から教えてくれた松崎純一氏 (jMatsuzaki主宰)、その後何度かブログセミナーに参加させて頂いたたちさんこと立花岳志氏 (No Second Life主宰)、ブログメディア道場に入門した時の道場主・師範代の大橋悦夫氏 (シゴタノ!主宰)・佐々木正悟氏 (Sasaki Shogo主宰)、こうした師匠方の教えなくして、ブログを続けることはできませんでした。
特に、たちさんに何度も言われた「量より質より更新頻度」は、今でも呪文のように唱えている言葉です。
そして、こうした師匠達と出会えただけでなく、ブログを通じて多くの知己を得たことも、とても感謝しています。
そしてそして、何よりも拙いブログを読んで下さっていた読者の皆さんに厚く御礼申し上げます。これまでありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
ブログ更新は、まさしく「鍛錬」の場だった
1,000日連続更新のスタートは、2014年の元旦でした。お屠蘇気分のホロ酔いで最初の記事を書いたことを思い出します。
この時は、タイトルに「目指せ!今日から3ヶ月連続更新!」とあるように、まず3ヶ月を目標にスタートしたのです。
途中何度も挫けそうになりながら、3ヶ月連続を達成し、それが6ヶ月、9ヶ月となり1年連続を達成しました。
それが、2年目に入って暫くした頃から、ブログの連続更新は目的ではなく手段に変わってきました。
それはなぜかというと、ブログを更新し続けることで、自分自身が確実に変化していることを実感したためです。
その変化とは、毎朝ブログを書くことから始める生活パターンが確立し、ブログ記事のネタをキャッチするアンテナが鋭敏化し、興味の対象が広がり、その対象について調べることが面白くなり・・・という連鎖というか、化学反応が起きてきたことです。
そして、思いました。「1,000日連続更新したら、それを経験した自分の目に、どんな世界が見えてくるのだろう…」と。
そして今日、現実に連続更新してみて、まず思い浮かべたのは、宮本武蔵の著した有名な兵法書「五輪書 (ごりんのしょ) 」水之巻に出てくる言葉でした。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
「鍛」と「錬」の違いは、辞書によると「鍛」は金属を打ち鍛えること、「錬」は金属を良質なものに鍛え上げるとあります。
なので、千日の稽古は粗削りながらの形作りで、万日の稽古はより繊細な完成度の高い仕上げを目指す、という解釈ができそうです。
また、昭和の武蔵を自認していた極真カラテの創始者 大山倍達氏は、この言葉の「鍛」を「初心」、「錬」を「極み」と言い換えています。
「千日をもって初心とし,万日をもって極みとする」
そして、「ああ、自分にとってブログの更新は、『鍛錬』の場であったのだな、修行の場であったのだな」と素直に実感したのです。
「鍛」を経て「錬」の凄さを知る
千日を経て初心に至り、その十倍の万日を経なければ極みに至らないとすれば、今の気持ちを初心とし、忘れてはいけないことになります。
そして、実際に千日という期間を経験してみて、万日という重みを実感することになりました。例えて言えば、高さ333mの東京タワーに登ってみて初めて、3,776mの富士山に登ることの大変さを実感したようなものです。
平地から眺めているだけでは、333mの東京タワーより3,776mの富士山の方がずっと高いことは概念的に理解できても、どの位高いのか体感することはできません。
千日といえば3年弱、万日といえば30年弱の期間になります。現時点から3年後といえば、ちょっと先であり、30年後といえばずっと先であると感じますが、それが実際にどの位違うのか、実感を伴っては分かりません。
でも、実際にブログを千日更新し続けてみて、これを十倍の期間続けるのか、と思うと気が遠くなるような凄さを実感してしまいます。
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それでは、この鍛錬を経ることで、一体何が達成できるのでしょうか?どこに到達しようとしているのでしょうか?
ちょっと長くなったので、それは次回に続けたいと思います。
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ということで、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2016.9.26記)