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さて、今日の故事ことわざは、「地震雷火事親父」です。
「地震雷火事親父」とは?
世の中で特に怖いとされているものを順に並べて、調子よくいった言葉です。
地震、雷、火事などの災害に匹敵するほど親父が怖かったのは昔のことですね。年長の男性によって支配される家族制度である家父長制の時代は、頑固親父が怖い存在でした。
現在では親父はそれほど怖いものとは思われていないので、「親父」の代わりに「女房」や「津波」など、怖いと思うものに置き換えて使われることも多くなっています。
備えあれば憂いなし
さて、今日11月5日は、「津波防災の日」です。あの東日本大震災が起きた年、2011年6月に「津波対策の推進に関する法律」が制定され、この法律の中で、11月5日が「津波防災の日」と定められたのです。
この日になった理由は、今から163年前の1854年 (安政元年) 11月5日に発生した、安政南海地震の津波の際に、人々を高台に誘導するために稲に火をつけたという「稲むらの火」の逸話にちなんでいます。
この逸話のもとになったのは紀伊国広村 (現在の和歌山県有田郡広川町) での出来事で、主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛だそうです。
物語の概要は、以下の通りです。(出典 : Wikipedia)
村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。
祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。
火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだ。
東日本大震災による大津波の記憶も、薄れつつあるかもしれません。でも、しっかり対応して難を逃れた方もいれば、逃れることができなかった方もいたという事実は忘れてはいけないでしょう。
あの体験を風化させることなく、いつかまた起こるだろう災害の日に備えておくことが大事だと、改めて思う次第です。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2017.11.5記)