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さて、これまで出版への道を志すことになった経緯、想定読者に伝えたいことを書いてきました。 (こちらのページ参照)
その中で、以下の問いを発してきました。
- もし残された時間が3年しかなければ、あなたは何をやりたいですか?
- あなたが亡くなった後、あなたは何をもって人々に憶えられたいですか?
- 自分の人生の棚卸しをして自分を再発見した後、新たな生き方を選ぶなら、自分の好きなこと、得意なことを「強み」に変え、それを武器にして生きてみては如何ですか?
でも、そうは言ってもね…
と、思ってませんか?
そんなこと簡単にできないよ、やる自信もないし…という声が聞こえてきそうです。
できない、自信がないと思うのは、なぜでしょう?
今さら子どもみたいに、自分の好きなことをして生きていくなんて、みっともない…
まだ子どもも小さいし、うまくいかなかったら困る…
妻もなんて言うか分からないし、ご近所様の手前もあるし…とか?
ところで、そうやって自分にブレーキをかけるのは、自分の中の「常識」って奴ではありませんか?
「常識」を疑う
例えば、歳を重ねて忍び寄ってくる常識は、「年相応」という言葉です。
今の年齢が60歳と仮定すると、世の常識として「年相応」という言葉はどのような意味で使われているのでしょうか?
「もう若くない」
「もう年だ」
なんか、人生を諦めている人の発言に聞こえません?
まあ、昔なら60歳となれば、とうに子どもに家督を譲ってご隠居さんを決め込んでいる歳だったのかもしれません。
「まだ若い」
「まだまだいける」
とまあ、こんな風に言えるのが現代の60歳ではないでしょうか?
もう一つ、世の常識として言われているのが、次の言い方でしょうか。
「何をするにも遅すぎる」
これも、生きることに対して投げやりになっている感じです。
「何をするにも遅すぎるということはない」
と信じて、まだまだイケてるところを見せられるのが60代ではないでしょうか。
世間一般でいう「常識」は、もちろん生活の知恵として役立つものもありますが、自分を縛り付けてしまう縄でもあると心得る必要がありそうです。
いくつになってもポジティブ&アクティブに生きていくことは可能
自分の身の回りを見渡しても、会社を定年退職した後、新たな趣味・ライフワークを見つけたり、新たに起業・独立したりして第二の人生を切り拓いている方達が数多くいます。
何をするにも遅すぎるということはないのです。そりゃ、歳を重ねれば、体の不調も出てきます。若い人のように体力勝負はなかなかできません。
でも、それならそれなりにポジティブ&アクティブに生きていくことはできるはずです。
積み重ねてきた経験や知識に縛られるのではなく、それを活かして新たな分野、人生の次なるステージに積極的にチャレンジしていけば、老け込んでいる暇なんてないでしょう。
ちなみに、こんな言葉があります。
「50,60ハナ垂れ小僧、70,80働き盛り、90になってお迎え来たら、100まで来るなと追い返せ!」
いい言葉ですよね!
さて、また長くなってきたので、続きは次回に。
では、また!
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(2018.1.11記)