Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

自分の中にしつこく巣くう要らぬ ” 常識 ” とは? ” 年相応 ” ってどんな意味だ?

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2016年も3日目を迎えました。

さて、元旦には今年最初のチャレンジとして、「新たなコンフォートゾーンを作り、そこに飛び込むこと!」について書きました。

そして、昨日はそのために日々の行動で気をつけたいことを今年の抱負として、「常識を疑い、縛られないこと!」について書きました。

そこで、今日は自分の中にある疑うべき常識とは何なのか、という点について明らかにしておきたいと思います。

まずは「年相応」という常識

2016年は申年、そして僕は年男で、この3月にはめでたく還暦を迎えます。

その言葉で忍び寄ってくる常識は、「年相応」という言葉です。

世の常識として、60歳という年齢について「年相応」という言葉はどのような意味で使われているのでしょうか?

「もう若くない」
「もう年だ」

なんか、人生を諦めている人の発言に聞こえません?

まあ、昔なら60歳となれば、子どもに家督を譲ってご隠居さんを決め込む歳だったのかもしれません。

「まだ若い」
「まだまだいける」

とまあ、こんな風に言えるのが現代の60歳ではないでしょうか?

もう一つ、世の常識として言われているのが、次の言い方でしょうか。

「何をするにも遅すぎる」

これも、生きることに対して投げやりになっている感じです。

「何をするにも遅すぎるということはない」

と信じて、まだまだイケてるところを見せられるのが60代ではないでしょうか。

活き活きと「年相応」を生きている先達を見習う

自分の身の回りを見渡しても、会社を定年退職した後、新たな趣味・ライフワークを見つけたり、新たに起業・独立したり第二の人生を切り拓いている方達が多くいます。

何をするにも遅すぎるということはないのです。そりゃ、この歳になれば、体の不調も出てきます。若い人のように体力勝負はなかなかできません。

でも、それならそれなりにポジティブ&アクティブに生きていくことはできるはずです。

積み重ねてきた経験や知識に縛られるのではなく、それを活かして新たな分野に積極的に取り組んでいけば、老け込んでいる暇なんてないでしょう。

・・・というわけで、変な常識に囚われて年齢を言い訳にせず、もっともっと元気にあれやこれやにチャレンジしていきたいと思います。

ただ、そのためにはやはり健康であるに越したことはありません。冬になってサボりがちな朝ウォーキングも、億劫がらずにしっかり取り組まなければ!

・・・・・・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
 
 
・・・・・・・・・・・・
(2016.1.3記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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人生のセカンドステージを、ポジティブ&アクティブに過ごすことを目指して、アラカン(アカウンド還暦)世代の筆者が思いを綴るブログ。
Consulting Office SMART代表/富田邦明が人となりをお伝えするために運営しています。

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