2016年も2日目、日々時は過ぎていきます。
さて、昨日は今年最初のチャレンジとして「新たなコンフォートゾーンを作り、そこに飛び込むこと!」について書きました。
そのために、日々の行動で気をつけたいことを、今年の抱負にしたいと思います。
自分の中に育った「常識」のしぶとさ
昨年暮れのブログにも少し書いたのですが、世の中には「大人の常識」なるものが幅をきかせています。
曰く「回りの空気を読んで、大人の対応をしなければならない」、曰く「そんな子供じみたことを言わずに、ちゃんと大人として振る舞え」etc,etc…
なるほど、世の中には回りの人に迷惑をかけないようにしなければいけないルールがあります。
それは、公序良俗を守るために必要なことです。
ただ、それとは別にある「世間の常識」「世間体」といった、どうも胡散臭いものがあるのも事実です。
「常識」を疑い、縛られるな!
「周囲の目は、自分を縛る縄」という言葉があります。回りを気にするあまり、行動を束縛されることですね。
小さい頃であれば、両親の目や親戚の目でしょうか。「聞き分けのいい、良い子でいること」「学校の成績がいいこと」からスタートして、「いい学校・大学に入ること」「有名な大企業に就職すること」「適齢期に結婚して、子どもを産むこと」などいつまで経っても、回りの期待がつきまといます。
小さい頃の夢は、男の子であれば「警察官になりたい」「野球選手になりたい」「Jリーガーになりたい」、女の子であれば「花屋さんになりたい」「ナースになりたい」「可愛いお嫁さんになりたい」と無邪気に夢を語ることができます。
それが、大人になって夢を語ると、回りから「いつまでも子どもみたいな夢を言うんじゃない。大人になれ。」と言われるようになったりします。それが大人の常識だから…こんな風に言う大人は、ドリームキラーと呼ばれています。
そんな常識に縛られたら、周囲が期待する人生を送るようになってしまいます。自分自身の人生なのに…
僕が、こうしたことに気付いてから、まだ数年しか経っていません。
そして、こうした常識に縛られない生き方をしていこう!と決心し、これまで努めてきました。
ところがどっこい、なかなか常識という奴はしぶといのです。数十年かけて培ってきたものですから、鍛え上げた筋肉のように自分の身にしっかりついているのです。
今年最初のチャレンジ「新たなコンフォートゾーンを作り、そこに飛び込む」ためには、もう一度性根を据えて、この「常識」を疑い、縛られないように取り組む必要があると考えています。
終わりに
「常識」に唯々諾々と従って生きるのは、川の流れに身を任せるようなもの、下りのエスカレーターにのほほんと乗っているようなものかもしれません。
でも、川の流れに身を任せていたら、いずれ大海に押し出されて溺れてしまうかもしれません。
下りのエスカレーターに乗り続けていたら、いずれ地下深くに押し込められてしまうかもしれません。
そんなことは御免です。川の流れを遡るようなもの、下りのエスカレーターを必死に上るようなものかもしれませんが、それを厭わずみっともなくあがいていく年にしようと思ってます。
・・・というわけで、これからこのブログでこの取り組みについて、折に触れてご報告していきたいと思っています。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2016.1.2記)