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さて、これまで出版への道を志すことになった経緯、想定読者に伝えたいことを書いてきました。 (こちらのページ参照)
前回は、「時間感覚力」を付けることで、今、自分はどんな時間を過ごしているのか、明確に意識できることを書いてみました。
今日は、「刷り込み力」を付けることで、生半可なことではすり減ることのない、一生の無形資産が形成されることを書いてみます。
普通の人間は、一度や二度見ても (聞いても) 忘却の彼方に消えるのがオチ
誰かが何かを言ったり、やったりした時に「ああ、それ知ってる」「ああ、自分もやったことある」と思うことは、誰でも経験があると思います。
でも、それまでは忘却の彼方だったわけです。誰かが言ったりやったりしたことで、記憶の引き出しが開いたのです。
人間は、忘れる動物なんですよね。それはそれで、いいこともあります。大事な人が亡くなった時に覚える深い悲しみも、日に日に薄れていくからです。これを「日にち薬」と言います。
ただ、深い悲しみだけでなく、ほんとは覚えておかなきゃいけないことも忘れてしまうのが人間です。
大切にしたい言葉や気づきも、書き留めておかなければすぐに忘れてしまいます。また、書き留めたことで安心して、一度も見返さなかったりします。
「知っている」と「できる」との間には雲泥の差がある
何かの機会に、聞いたり見たりしたことを思い出したとしたら、それはそのことを「知っている」ことになります。
でも、そのことが自分の行動に役立つものだったとして、実際にやっているかと言えば、できていないことが多かったりします。
「知っている」ことと、実際に「できる」ことの間には雲泥の差があるのです。
我と我が身を振り返っても「頭で理解して、知っている」つもりになったことが、なかなか具体的な行動に結びついていません。
例えば、2014年に定めた僕の基本スタンスの一つに、次の言葉があります。
「目標は、ゴールに到達することではなく、ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くすことだ。」
しかし、基本スタンスとした後でも、気がつけばゴールに未達であることを気にして、その未達原因を、突発的に起きた出来事や取り組みを邪魔した (ように思える) 他人のせいにしたりしています。
「あ〜・・・それじゃダメなんだよな・・・」と気がついて、改めて自らを戒めますが、また同じ過ちを犯してしまいます。
その度に、自らを戒めます。その繰り返しです。それを何度も繰り返して、やっと結果のみに執着することから逃れることができたのです。
「刷り込み力」を付ければ、身についたものはおいそれと剥がれ落ちない
日本の伝統工芸の一つに、「漆塗り」があります。
漆塗りの器は、木地製作→手塗り (下地塗・上塗) →加飾 (蒔絵・沈金) という段階を経て、一つの作品が出来上がります。
気の遠くなるような工程を経て、その中で何度も何度も重ね塗りを行うことで、長い年数の使用に耐えるものが出来上がるのです。
人間も同じです。何かを学んで、それをなんとか身につけたいと思ったら、その内容を書き留める・何度も見直す・実際にやってみることを繰り返す、といったことをするしかないわけです。
そうすれば、漆塗りと同様に、すぐに剥がれ落ちるようなメッキ貼りではない、ホンモノに近付けると思います。そして、それは一生モノの無形資産となってくれるでしょう。
さて、長くなりましたので、続きは次回に。
では、また!
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(2018.2.17記)