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さて、昨日は僕と同学年であり、63歳という若さで亡くなられた西城秀樹さんの追悼記事を書きました。
西城秀樹さんの死によるショックは予想外に大きく、3日経った今でもガツンとした喪失感に襲われています。
今日は、西城秀樹さんを偲び、思うことを書き留めておきます。
生きているのではない、生かされているのだ
4年前の5月、僕は伊勢神宮に詣でていました。伊勢の地は、そこにいるだけで何かを感じる不思議な地です。
そして、遙か昔、天照大神の時代から今を思えば、人の一生とはほんの一瞬であることを実感します。
そんな人類も、宇宙の歴史の中では、その誕生から今までの歴史も、ほんの一瞬の出来事です。
そんなふうに思うと、今目の前を過ぎる一分一秒が、とても大切で愛おしく思えます。
この世に生を受け、ちっぽけなことに悩み傷つき、それでも生かされている。そんな貴重な機会を与えてもらっていることにほんとに感謝します。
人生、死ぬこと以外は、かすり傷
こんな言葉があります。
なるほど、と頷いてしまいます。かすり傷だと考えれば、早晩治るものです。大ごとに考えずに済みます。
「人生ケセラセラ」「なるようになるさ」「明日は明日の風が吹く」・・・どこか無責任に見える言葉も、その裏には前向きに生きようとする、人の知恵が隠されている気がします。
一発大ホームランを狙うのではなく、今できることを誠実に確実に仕上げていく、そして生かされていることに日々感謝して過ごしていく。それが大事なことだと、西城秀樹さんの訃報に接し、改めて思った次第です。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2018.5.19記)