先週は、伊勢神宮の別宮や外宮・内宮を巡り、神秘の力を感じてきました。
その後、京都へ移動し、現在進めているプロジェクトのメンバーである弁護士の知人と、打合せを兼ねて、久しぶりに一献傾け、更に高校時代の悪友6人衆と「京都暴飲爆食ツアー」を堪能してきました。
今日は月曜日、再び日常の忙しさが戻ってきました。
「生きている」から「生かされている」へ
とてつもない歴史のある伊勢そして京都へ出かける前と、帰ってきてからでは、日常の景色が違って見えるから不思議です。
「生きている」から「生かされている」へと感覚が確実に変わっています。
遙か昔、天照大神の時代から今を思えば、人の一生とはほんの一瞬であることを実感します。
そんな人類も、宇宙の歴史の中では、その誕生から今までの歴史も、ほんの一瞬の出来事です。
そんなふうに思うと、今目の前を過ぎる一分一秒が、とても大切で愛おしく思えます。
この世に生を受け、ちっぽけなことに悩み傷つき、それでも生かされている。そんな貴重な機会を与えてもらっていることにほんとに感謝します。
人生、死ぬこと以外は、かすり傷
最近、どこかで目にした言葉です。
なるほど、と頷いてしまいました。かすり傷だと考えれば、早晩治るものです。大ごとに考えずに済みます。
「人生ケセラセラ」「なるようになるさ」「明日は明日の風が吹く」・・・どこか無責任に見える言葉も、その裏には前向きに生きようとする、人の知恵が隠されている気がします。
一発大ホームランを狙うのではなく、今できることを誠実に確実に仕上げていく、そして生かされていることに日々感謝して過ごしていく。それが大事なことだと、改めて気付いた週の始まりでした。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2014.5.19記)