さて、元旦から「新たなコンフォートゾーン (快適な領域) を作り、そこに飛び込む」チャレンジをするにあたって、考えてきたことを連日ご紹介してきました。
コンフォートゾーン作りに向けて、もろもろ具体的な準備をしているわけですが、この機会にそうした行動のベースとなっている考えを書き残しておこうと考えたわけです。
今日も続けます。
1年後に今日のブログを見返すことを想像する
ここ何年か、毎日継続していることを1年後の同じ日に振り返ることをしています。
- 1年前の同じ日にアップしたブログ記事を見返す
- 1年前の同じ日に記録した写真日記を見返す
- 1年前の同じ日にペン字練習を兼ねて書き記した内容を見返す
といったことです。
こうした内容を見返すことで、1年前の同じ日に「こんなブログ記事をアップしていたのか、こんな所に行ってこんなものを食べていたのか、ここに書き記した内容を生かしてきたんだ。」といった感じで、新たな気付きを得ることができます。
というわけで、2016年の元旦から書き綴っている一連の内容を来年見返した時に、どのような思いを抱くのか、想像しながらこのブログを書いています。
1年後に自分はいないかもしれない
昨日は、「もし今日が人生最後の日ならば、今日するつもりでいることを本当に行うだろうか?」と、スティーブ・ジョブズが伝説のスピーチで述べた内容について書きました。
そして、人生の終わりは明日かもしれない。だから、どのように今日を悔いなく生きるのか?と、常に命に対する緊張感を持って生きなければならない、という思いを強くしたのです。
1年後に自分はこの世にいないかもしれません。でも、ブログは書き続けますし、写真日記もつけ続けます。もちろん、ペン字練習も毎日するつもりです。
死んでしまえば、人間は最終的に灰になります。では、なんでいろんなことを続けるのでしょうか?
山登りは、山頂に立つだけが目的ではない
かつて、山登りが好きな友人が語っていた言葉が、強く印象に残っています。
それは、次のような内容でした。
山登りの目的は、もちろん一番高い山の頂に到達し、そこで得られる達成感を味わうことです。
でも、それだけが山登りかと言えば、そうではありません。
計画を練り、ルートを決め、急な天候の変化などのリスクに備えてさまざまな用意をする。
登山を開始すれば、道々出会う人々と挨拶し、途中開ける景色に感動し、突然起こるアクシデントに臨機応変に対応する。そして山頂を目指す。
山頂を目前にしながら天候が急変し、危険だと判断すれば勇気を持って下山する。
そうしたこと全てをひっくるめて山登りと言うのです。
なるほど…と頷いてしまいました。
確かに山頂に到達して景色を眺めるだけなら、ロープウェイで上がろうが、それこそヘリコプターで山頂に行って帰ってくれば目的を達することができます。
でも、それでは山登りにはならないのです。これは、人生にも同じことが言えますね。
目的地に到達することだけが、人生の目標ではないわけです。
その過程では、いろいろと計画し、リスクに備え、行動し、突発事項に対応し、修正し、時には悩み苦しみ、でも出会う人々や出来事に感動しながら目的地に向かう・・・
そうしたこと全てが「生きる」ということなのです。
例え、最終目的地に到達できず、志半ばで倒れたとしても、その過程を一生懸命生きていれば「悔いのない人生」を送ることができたと言えるのではないでしょうか。
それはまさしく、目標達成の判断基準を外部に置くのではなく、自分の内部に置くことになります。
そして、すべての結果に対して、自己責任を負うことになるのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2016.1.9記)