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【「終戦記念日」にあたり】・・・多くの戦没者を追悼し、「不戦」を誓い、平和を祈念する

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(画像出典元はこちら)

さて、今日8月15日は「終戦記念日」です。広島平和記念日・長崎原爆の日・日航ジャンボ機墜落事故の日に続いて、慰霊の祈りを捧げる8月15日が今年も巡ってきました。

戦後73年目の「終戦記念日」

今から73年前、1945年 (昭和20年) 8月15日の正午、昭和天皇の肉声が、ラジオ放送を通じて初めて国民に届けられました。いわゆる玉音放送です。

そして、日本軍の全面降伏をつきつけた連合国側のポツダム宣言を受諾し、戦争を終結することが全国民に伝えられたのです。

この玉音放送は、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書などともいう) を昭和天皇が朗読し、それを録音したレコードがラジオ放送されたものです。

その前には、この放送を阻止しようとする軍部の一部がレコードを奪取しようと画策したそうです。

当日は朝から「賢き辺り(=天皇)にあっては、本日正午から重大発表を行なうので、必ず聴くように」と繰り返しアナウンスされました。

当時、神聖不可侵とされた最高権力者である天皇の肉声が、初めてラジオで放送されたことと共に、戦争終結が発表されたことで、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべき衝撃的な出来事となりました。

8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」

第二次世界大戦末期は、アメリカが日本本土に上陸して戦闘が行われる、という事態が想定されていました。しかし、日本には既に戦う武器はなく、一般人には竹槍による訓練が強制されていました。

アメリカも日本人の覚悟を知っていたようで、最終的には勝利を収めたとしても、日本人の絶望的な抵抗により、アメリカ側にも甚大な犠牲が生じることを危惧していました。

このため、日本を蹂躙して消滅させ隷属させることは選択せず、国としての体 (てい) を残した形で日本軍の全面降伏を求めるポツダム宣言を発表し、広島・長崎に原爆を投下し降伏を促したとされています。

あの時、昭和天皇の英断がなく、軍部が主張していたようにポツダム宣言を拒否していれば、日本は蹂躙され天皇制が残らないどころか、今頃連合国の一部に併合されていたかもしれません。

あれは確かに間違った戦争だったでしょう。しかし、「お国のために」と信じ、愛する家族を守るためと信じ、兵士として戦地に赴き、そして亡くなられた方々を追悼し鎮魂を祈ることは、とても大切なことだと思います。

もちろん、多くの空襲や沖縄地上戦、広島や長崎の原爆などで亡くなられた多くの民間人の方々を追悼し鎮魂を祈る日でもあります。

そして、「不戦の誓い」を新たにし、平和を祈念することが求められる日なのです。

そうした諸々に思いを致し、正午には黙祷を捧げようと誓う朝なのでした。

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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

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(2018.8.15記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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