さて、今日は「終戦記念日」。広島・長崎・御巣鷹山に続いて、慰霊の祈りを捧げる8月15日です。
戦後70年の「終戦記念日」
1945年8月15日の正午、昭和天皇の肉声が、ラジオ放送を通じて初めて国民に届けられました。いわゆる玉音放送です。
そして、日本軍の全面降伏をつきつけた連合国側のポツダム宣言を受諾し、戦争を終結することが伝えられたのです。
あれから70年・・・10年毎の節目に行われる今年の首相談話は、安倍総理から「70年談話」として昨日発表されました。
「終戦記念日」に思うこと
僕の父親は大正14年生まれ、敗戦の年には若干20歳、調布飛行場に配属された航空兵だったそうです。母親は、まだ女学校に在学中で、勤労奉仕として工場で働いていました。
父親が配属された時は、既に満足に飛ばせる飛行機はなく、グライダーを用いて飛行訓練をしていたと聞きました。
アメリカが日本本土に上陸して戦闘が行われる、という事態が想定されていましたが、既に戦う武器はなく、一般人には竹槍による訓練が強制されていたそうです。
アメリカも日本人の覚悟を知っていたようで、最終的には勝利を収めたとしても、日本人の絶望的な抵抗により、アメリカ側にも膨大な犠牲が生じることを危惧していました。
このため、日本を蹂躙して消滅させ隷属させることは選択せず、国としての体 (てい) を残した形で日本軍の全面降伏を求めるポツダム宣言を発表し、広島・長崎に原爆を投下し降伏を促したとされています。
あの時、昭和天皇の英断がなく、軍部が主張していたようにポツダム宣言を拒否していれば、日本は蹂躙され天皇制が残らないどころか、今頃連合国の一部に併合されていたかもしれません。
あれは確かに間違った戦争だったでしょう。しかし、「お国のために」と信じ、愛する家族を守るためと信じ、戦地に赴き、そして亡くなられた方々を追悼し鎮魂を祈り、平和を祈念したいと思います。
そうした諸々に思いを致し、正午には手を合わせようと誓う蝉の声が賑やかなお盆の朝なのでした。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2015.8.15記)