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さて、「今日の一言メモ」第51回です。
何かを選択する時、他人の意見に左右されていないか
人は生きていく中で、常に選択を迫られます。小さなことでは、誰とランチに行くか、という選択もあり、何を食べるかという選択もあります。
他の人と一緒にランチをする時に、自分一人だけ出来上がるまで時間が掛かりそうなメニューは、例え大好きなものでも遠慮してしまいます。
自分を含めて4人いたとして、他の3人が同じメニューを選べば、本意ではなくても「じゃ、一緒のもので…」と言ってしまいそうです。
まあ、ランチであればご愛敬ですが、それが人生で大きな意味を持つ選択の時はどうでしょう?自分一人で決めきれず、親しい友人に相談することもあるでしょう。
他人の意見に従った時の結果責任は?
人は、誰かに相談する時は既にある選択をしていて、相談相手に背中を押して欲しいだけだ、とも言います。
そんな時、友人が勧めてくれた選択をしたとして、後日その結果がうまくいかなかった時、どう思うでしょうか?
「あいつが、あんなことを勧めたからだ!」と友人のせいにしますか?それとも「最終的に選択したのは自分なのだから、自分の責任だ」と思いますか?
結果責任は、100%自分が負う
まあ、物事がうまくいかない時、それを人のせいにしたいのは人情ですから、感情的にそう思うのも仕方ないことかもしれません。
でも、常日頃から人の意見はあくまで参考であり、選択した結果に対する全責任は全て自分が負うのだ、と自分に言い聞かせておけばどうでしょうか。
そして、その覚悟で行った選択であれば、例えその結果がうまくいかなかったとしても、その選択自体は正しかったのです。
失敗したということは、何か行動した結果でしょう。そして、失敗したそのことは、うまくいかないやり方を発見したということです。また、別のやり方を試せばいいだけです。
一番いけないのは、結果の全責任を負うことが嫌になり、何もやらなくなることだと思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.2.28記)