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さて、「今日の一言メモ」第66回です。
日常のシーンで感動すること
日常のふとしたシーンに感動することがあります。公園でやんちゃに駆け回っているいたずらっ子が、物を落として拾いにくそうにしているお年寄りのそばに駆け寄り、さりげなく拾ってあげるシーンとか…
近くの式場から出てきた新郎新婦が、それぞれの衣装に身を包み写真撮影をしているところに出くわし、2人がとても幸せそうに晴々とした表情をしているのを見た時とか…
そうしたシーンは、意図的に設定されたものではなく、ふとした瞬間に生まれるものでしょう。
必然性から感動は生まれない
映画やテレビのドラマのように脚色された世界で演じられる感動はありますが、日常的に必然性のある感動は生まれないでしょう。
とすれば、感動のある人生を生きるためには、日常の中で計画し過ぎないことでしょう。情報を集め、それを元に立てる計画は、トータルでコントロールされることで日常の安心感をもたらすと思います。
でも、その分、偶然性やセレンディピティ、そしてそこから生まれる感動の発生可能性を制限してしまうでしょう。感動は、計画や計算かを越えたところから生まれるはずです。
不安の原因となる不確実性を認める
きちんと計画したり計算することをやめると、今度は将来に向けて不安が頭をもたげてくるはずです。
でも、そうした不安の原因となる日常の不確実性を、穏やかに眺めることができれば、大らかな心で流れに身を委ねることができるでしょう。
そうすれば、迷いなく「いまここ」を生きられると思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.3.20記)