(画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第314回です。
一昨日のブログで、今年 (2020年) の行動指針を「余計なものを排し、自分に正直に生き、明日死んでもいいように今日を生きる」と定めたことを書きました。
今日は、その実行を確実なものとするために心掛けておくことを記します。
「基本スタンス」のリマインド
2014年の元旦に定め、現在も継続している基本スタンスがあります。それは、次のような内容です。
目指す最終目標は、ゴールに到達することではなく、
ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くすことだ。
この言葉の背景には、「不可抗力に逆らわず、可抗力の統制に集中する」という意味があります。
ゴールに到達することのみを (外面化された) 目標とすると、その過程には他者の存在や思惑、環境の変化などの不可抗力が存在します。
即ち、ゴールに到達できなかった時に、その原因はそうした不可抗力のせいだ、という言い訳が許されることになります。
一方で、ゴールを目指すプロセスで自分のベストを尽くすことを (内面化された) 目標とすると、そうした言い訳は一切許されなくなります。
ついつい、言い訳を不可抗力に求めがちな自分がいます。この点は、いくつになっても自分の弱さを克服できていない証拠で、反省しきりです。
ただ “今” を生きることに集中する
京都の西、嵐山のほど近くにある鈴虫寺。このお寺で行われる「鈴虫説法」なる講話を目当てに、多い日は3千人もの人が訪れるとか。
テレビでも何度か紹介されているので、ご存知の方も多いでしょう。 (こちらの記事参照)
その十代目の桂住職が行う説法は、堅苦しいところなど何もなく、まるで落語や漫談のような軽妙な語り口で話が紡がれていきます。
今日は、新年に当たっての心掛けについて話された内容が心に残りました。そのポイントを要約すると次の通りです。
夢や目標を設定するのはいいことだが、
それに囚われ過ぎてはいけない
結果や成果を追い求めるのではなく、
ただ “今” を生きることが大事
今日を一生懸命生きることができれば
結果や成果、評価は後から付いてくる
また、桂住職が今目指しているのは「愚かになること、馬鹿になること」だそうです。
愚かになったり、馬鹿になることは難しい、と住職は言います。それは人間誰しも、他人からよく思われたい、評価して欲しいという欲があるからです。
そうした欲を捨てれば、愚かにも馬鹿にもなれるというのです。
桂住職のお話を聞いて、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の次の一節を思い出してしまいました。
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず くにもされず
そういうものに わたしはなりたい
「ただ “今” を生きる」ことについては、以下の書籍でも、著者の倉園佳三氏が「いっさいの計画を手放し、今 “ここ” に集中する」と力説しておられます。とても重要なことがちりばめられているので、一読をお勧めします。
“今” に集中すれば、明日死んでもいいと思える今日を過ごせる
夢や目標を今日決めたとして、明日になれば、それは昨日の自分が決めたことです。半年経てば、半年前の自分が決めたことになります。
そんな過去の自分が決めたことに囚われるのは、確かにナンセンスです。半年前より今日の自分がアップデートしていれば、当然夢や目標もアップデートしていかなければならないでしょう。
そういった意味では、大きな方向性を定め、そこに向かうマイルストーンとして一応の到達点を仮に置き、そこに向かって「ただ “今” を生きることに集中し、今 “ここ” に集中する」ことが大事になります。
そうして生きていくことで、2020年の行動指針に定めた「明日死んでもいいように今日を生きる」ことができるように思うのです。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
・・・・・・・・・・・・
(2020.1.4記)