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さて、「今日の一言メモ」第453回です。
「河海は細流を択ばず」
「河海 (かかい) は細流 (さいりゅう) を択 (えら) ばず」とは、黄河や大海はどんなに小さな川の流れでもすべて受け入れるため、大きな川や深い海となり得たという意味です。
そこから、大事業を成し遂げる者は人々を包容する度量の広さを持つということの例えになりました。
古代中国で司馬遷によって編纂された中国の歴史書である『史記』に、「泰山は土壌を譲らず、故に能くその大を成す。河海は細流を択ばず、故に能くその深を就す。」とあるのに基づくそうです。
泰山が大きな山になったのは、どんな土でも辞退することなく受け入れたから、という意味です。
すべてを受け入れるのは難しいので、受け流すことも身につける
何事も受け入れていくことは、言葉では簡単ですが、いざとなると、自我の「我」が邪魔をしてなかなか難しいものです。
しかし、身の周りで起きている良いことも悪いことも全て受容することができたら、どんなに楽になるでしょう。
故事によると、お釈迦様は次のように言ったそうです。
「仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったことは一時のことで、いずれ過ぎ去るであろう。よって、全てを受け入れよ。」
なるほど…どんな強い向かい風もいずれはやむから、それまでは柳に風と受け流すことも大事ですね。
些細なことに悩んだり、怒ったりすることなく、あるものは受け流し、日々感謝の気持ちを忘れず穏やかな気持ちで過ごすことが、器の大きい人になるための修行かもしれませんね。
SNSが発展した現代では、まるで見ず知らずの匿名者から誹謗中書されることがあります。顔が見えない相手だけに厄介です。100のコメントのうち99が肯定的な内容でも、1つ否定的な内容があれば気になるものです。
でも、相手はあちこちでそういったコメントを書き散らかしているでしょうし、一々覚えていないと思います。そんな相手のことをクヨクヨ考えても仕方がありません。ここはサラリと受け流して、次へ進むことです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.6.16記)