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さて、「今日の一言メモ」第456回です。
「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」
「君君 (きみきみ) たらずといえども臣臣 (しんしん) たらざるべからず」とは、主君に徳がなく、主君としての道を尽くさなくても、臣下は臣下としての道を守って忠節を尽くさなければならないという意味です。
論語には「君君たり、父父たり」という一文があるそうです。その概要は以下の通りです。
斉の景公が政治の要道を孔子にお尋ねになると、孔子は、「君たる者は君としてなすべきことをやり、臣たる者は臣としてなすべきことをやり、父たる者は父としてなすべきことをやり、子たる者は子としてなすべきことををやるのがよい。」とお答えした・・・
そこから派生して、「君君たらずとも、臣臣たれ」という考え方が出てきたようです。
家臣が主君のために一身をささげて尽くす滅私奉公が美徳とされた封建時代であれば、そのことを訓 (おし) えるためのには重宝な考え方だったでしょう。
今の時代では
あの「忠臣蔵」で描かれた赤穂浪士も、ある世代以下の人には「ルールを破って大罪を犯した主君の逆恨みを晴らそうとした愚かな人々」と受け止められているのを知り、愕然としたことがあります。
今や滅私奉公するなど考えられない時代になり、滅私奉公という言葉自体、死語になってしまったかもしれません。
ま、それは別にして、戦後経済成長を支えた「終身雇用」「年功序列」を前提とした日本型家族経営の時代も終焉を迎え、会社のために身を粉にして働くことも古いスタイルになりました。
「本分を尽くす」時期もあって良いのでは?
「本分」という言葉があります。辞書で調べると「人が本来尽くすべきつとめ」とあります。そういえば昔、学生時代に「学生の本分は学業である」と言われたことがありました。
会社員であれば、上司のできがどうだろうと、部下は部下としての務めを果たすことが本分であるということになります。
確かに「こんなことやってられるか!」と思ったとしても、それはそれとしてやらなければならないことを粛々と行う時期も必要だと思います。そんなことを一生やる意味はありませんが。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.6.19記)