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さて、「今日の一言メモ」第568回です。
「送る月日に関守なし」
「送る月日に関守なし」とは、年月の過ぎるのは、早いものだということの例えです。「関守」(せきもり)とは、関所の番人を指します。
月日の流れをさえぎる関所の番人などはいないのだから、止めることはできないということを表しているのです。
「柿の日」
今日10月26日は「柿の日」です。全国果樹研究連合会カキ部会が、2005年 (平成17年) に制定した記念日だそうです。
今から125年前の1895年 (明治28年) 10月26日に、正岡子規が「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を詠んだことに由来しています。
この句は、子規が法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた、という意味だそうです。
生涯に20万を超える句を詠んだ子規の作品のうち、最も有名な句であり、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」と並んで俳句の代名詞となっています。
そういえば、「桃栗三年 柿八年」という言葉があります。これは、芽が出て実がなるまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるという意味ですね。また、何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だという例えです。
果樹を植えたら、その実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、何事も成就するまでに、それ相応の年月がかかるという意味です。
「桃栗三年 柿八年」の後に、「梅は酸いとて十三年」「柚子は九年でなりかかる」「柚子は九年の花盛り」「柚子の大馬鹿十八年」「枇杷は九年でなりかねる」などと続けて言うそうです。
ただ待っているだけでは実はならない
それなりのことに取り組み一定の成果を得るまでには、数週間や数ヶ月という単位ではなく、数年というスパンが必要です。そして、その間ただ手をこまねいているだけではいけません。果樹が育ち実を結ぶまでには、お日様の光と適度な気温、そして何よりも大事な水が長い期間にわたって必要です。
人がなにごとか成し遂げようとした時も、ある日突然なにごとかが忽然と表れることはありません。長期間小さなことをコツコツと地道に積み上げていくことで、少しずつ少しずつ成果が表れてくるはずです。
時は風のように過ぎ去っていきます。それはその日その日の命を削っているという意味です。なので、小さなことを力まず淡々と大事に積み重ねていきたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.10.26記)