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さて、「今日の一言メモ」第590回です。
「明日の百より今日の五十」
「明日の百より今日の五十」とは、大きな話に乗るよりも、わずかでも今日確実に手に入るほうを受け取るのが賢明であるということです。
明日もらえると約束した百両よりも、今すぐもらえる五十両を受け取るほうが、確実でよいということからこう言われるようになりました。
未来などどうなるかわからないのだから、わずかでも現実に得られるもののほうがよいという意味も含みます。
年の瀬に向かうこの時期に考えること
11月も中旬を過ぎ、街なかの書店では来年のカレンダーやダイアリーがうず高く積まれ、熱心に物色しているお客さんがたくさんいます。
僕は、もう何年も前から紙のカレンダーやダイアリーは、スマホなどのデジタル機器に移行しています。手帳は、万年筆で手書きの文字を練習するためのものと、外出時にスマホが使えない場面に備えて小ぶりなものを買っています。
そして、そろそろ来年のことをあれこれ考えたり、計画したりする頃ですね。「来年の事を言えば鬼が笑う」とは言いますが、今年できたこと、できなかったことに思いを馳せ、年末までにできることを仕上げ、その上で来年何をしていくか考えるのは楽しいものです。
今年正月に定めた行動指針は、来年も大切にする
今年は新型コロナウイルスのせいで、計画していた行動を大幅に修正することを求められました。最近では、ワクチン開発が具体的に進んでいますが、来年はまだまだWithコロナの生活が続きそうです。
毎年、年が改まる時に見直すのは、自分の行動指針です。今年の正月に定めた行動指針は次の通りです。
「余計なものを排し、自分に正直に生き、
明日死んでもいいように今日を生きる」
余計なものとは、いわゆる常識という名のルールや世間体、プライド、見栄といったものです。もちろん、世の中には回りの人に迷惑をかけないようにしなければいけないルールがあります。それは、公序良俗を守るために必要なことです。
ただ、それとは別に「世間の常識」「世間体」といった、どうも胡散臭いものがあるのも事実です。「周囲の目は、自分を縛る鎖」という言葉があります。回りを気にするあまり、行動を束縛されることですね。
そうした束縛から逃れて、今日という日を大切に生きる、例え明日死んでもいいように、という行動指針は引続き来年も大切にしていこうと思っています。
それが僕にとっての「明日の百より今日の五十」なのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.11.19記)