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さて、「今日の一言メモ」第639回です。
「人の口に戸は立てられぬ」
「人の口に戸は立てられぬ」とは、世間のうわさ話は、防ぎようがないということの例えです。
「立てる」とは、ここでは戸や障子を閉めるという意味で、「たてる」は「閉める」とも書きます。
家の戸をしめるように、人の口の戸をしめることはできない、つまり世間の噂が広がっていくのはどうにもしようがないという意味です。
なぜ、人は噂話が好きなのか
井戸端会議といえば、昔々、水道がない時代に井戸のまわりで奥さんたちが食器の洗い物をしたり、洗濯をしたりしながら、あれこれ世間話をしていた頃をイメージします。
現代であれば、会社のお茶室で女子社員が数人集まっておしゃべりしていたり、買い物帰りの奥さんたちが道端で立ち止まり世間話に花を咲かせている感じでしょうか。
そして、その話題は人の噂話が多いように思います。会社であれば「◯さんと△さんが怪しい、つきあっているんじゃないか」とか「□さんが今度支店に飛ばされるらしい」とか、道端の奥さんたちであれば「◯さんの旦那さんが、今度左遷されるらしい」とか「△さんが重い病気で入院したらしい」とか。
特に「他人の不幸は蜜の味」と言われるように、他人の不幸を題材にして「私はそんな人間ではない」とか「(ちゃんとしているので)私にはそんなことは起こらない」という優越感を感じるための噂話をするのが好きなようです。(ごくろうさまなことです……フゥ〜ッ)
自分が噂の対象になってしまったら
そんな噂話とは無縁に暮らしたいものですが、もし自分が噂話のターゲットになってしまったらどうしましょうね。「人の噂も七十五日」と割り切って、泰然自若と過ごせますか。
たとえば、自分が年相応でないことを始めたことに対して「みっともない」とか「無理しなくても」とか言われたとします。そんなときは、次の一文を思い出すことにしています。これは、20万人を超す読者が購読している個人発行の無料メルマガとしては日本最大級の「平成進化論」に記載されていたことです。
なにか事を起こそうと思ったなら、「痛い人」になるのは通過儀礼のようなものである。
そこを通過しないと次の世界には出られないのだ。
だから「みっともない人」「恥ずかしい人」「痛い人」だと後ろ指を差されれば、その事実を喜べばいい。そうやって試行錯誤しているうちに「やり方」が分かり、洗練もされてきて、目指す世界に到達できるだろう。
そのときになって自分に向けられていたその指(後ろ指)を、そっとご本人の方に向け変えて差し上げれば良いだろう。
「痛い人」だと後ろ指を差されるのは光栄なことのだ、と発想の転換をするわけです。数年前にこの言葉と出会ってから、僕はチャレンジという言葉の定義を次のように改めました。
挑戦 (チャレンジ) とは、みっともなくジタバタあがくこと
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.1.12記)