(画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第656回です。
「縁は異なもの味なもの」
「縁は異なもの味なもの」とは、男女の結びつきはとても不思議なもので、うまくできているという意味です。
男女の縁はどこでどう結ばれるかわからず、非常に不思議でおもしろいものだということを表していて、理屈では説明できない縁があるわけです。思いもよらない二人が結ばれるようなときに多く使われます。
「縁」とは、人の力を超えたところで、人と人を結びつける力のことで、単に「縁は異なもの」ともいいます。『江戸いろはかるた』の一つですが、そこでは「縁は異なもの」と表されているそうです。
あるアイデアが、別のアイデアと出会うのも縁
よく言われることですが、アイデアとは突出した人が考える独創的なものではなく、既存の要素の新しい組合せ以外の何ものでもありません。
梅沢忠夫氏の「知的生産の技術」では、
カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである。
と書かれています。
野口悠紀雄氏の「『超』発想法」では、
新しいアイデアは、すでに存在しているアイデアの新しい組み合わせや組み換えで生じる。この意味で、どんなに独創的に見えるものでも、従来からあるものの改良なのだ。
と書かれています。
いずれにしても、ゼロから何かを作り上げるのではなく、既存のものを利用したり、新しい組み合わせを見つけることがアイデアの元になっているわけです。
こうしたことでアイデア同士が出会うのもまた、縁は異なもの味なものといえるでしょう。
アイデア同士の出会いを邪魔する思い込み
下の絵は、有名な「だまし絵」です。この1つの絵の中に、2つの顔が隠されています。見たことがある方も多いと思いますが、同時に2つの顔を見ることは難しいのではないしょうか。
一つは、老婆の横顔です。顔のパーツは、こんな感じです。
もう一つは、若い娘の横顔をやや後ろから見たアングルです。顔のパーツは、こうです。
先に老婆だと思うと、どう見ても老婆にしか見えません。反対に、最初に若い娘だと思うと、もうどう見ても老婆には見えません。
これが「思い込み」というものですね。
こうした思い込みは、色々なアイデアや発想を生み出そうとしている時によく邪魔をしてくれます。物事を一面的にしか見せてくれず、多面的に見ることを拒みます。
この思い込みは、「固定観念」とも言います。そして、思い込みや固定観念は、加齢と共に強固なものになってきます。いわゆる「頭の固い」人間になってしまうわけです。
頭を柔らかくして、セレンディピティを得ていこう
ここで、パブロ・ピカソの言葉を思い出します。
子どもはみな、生まれながらに芸術家だ。
問題はいかにして芸術家であり続けるかということだ。
アイデアは、既存のものを柔軟に様々に組み合わせていかなければいけないのに、これはこういう意味しかない、と思い込んでしまっては、折角持っているはずの可能性が生かされなくなってしまいます。
様々なことを思い浮かべて、それを固定化された形ではなく、アメーバのように変形させながら有機的に結び付けていく、そんなことができる柔軟な頭にしていきたいものです。年と共に凝り固まっていく脳を解きほぐして。
そうすれば、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること、すなわちセレンディピティを得ることができるかもしれません。
・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2021.1.30記)